渡辺恒雄
「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである」 今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。・・・もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の『読売新聞』の力でそれを倒す。

膳所狒々新報

寒々冷え冷えとしたニュースコメントブログ:旧名「冷凍力の膳所狒々日記3」

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資料 ノーベル賞の政治的意味

ノーベル賞を勘違いした日本人
情報の生活習慣病を考える

* 2008年12月2日 火曜日
* 伊東 乾

ノーベル賞  元厚生事務次官殺傷事件  生活習慣病  湯川秀樹  土山秀夫  長崎原爆  戦時科学実験 

 元厚生事務次官連続殺傷事件の犯人とされる、小泉毅容疑者の自首と自供が論議を呼んでいます。そもそもこうした犯行自体、あってはならないものですが、さらに34年前に保健所で殺処分された「家族」である飼い犬の仇討ち、という自供が「犯行動機として弱い」とされているようです。

 でも、果たしてそうなのでしょうか? 私はどうしても別の背景を考えてしまいます。それは「情報の生活習慣病」としての「セルフ・マインドコントロール」そして「個人カルトの先鋭化」への一般的な懸念です。

「異常な事件の異常さ」をきちんと考える

 警察、検察はもとより、厚生労働大臣の舛添要一さんなどもどうしても、事件を合理的に理解しようとしているようです。彼の職位としてはその立場は堅持されるべきでしょう。しかし「犬の仇討ち」で私が最初に想起したのは「地下鉄サリン事件」に代表されるオウム真理教事件であり、大阪教育大学付属池田小学校で児童らを殺傷してスピード処刑されてしまった宅間守のことでした。

 合理的に考えれば「犬の仇討ち」などあり得ないでしょう。事件が起きた直後、報道も世論も年金問題に起因するテロとの見方を強めていましたが、小泉容疑者がマスコミ各社の掲示板等に書き込んだとされる犯行声明は、自分の行動を「決起」と表現して「年金テロ」を正面から否定するものでした。

 犯行に背景があると考える向きもあるようですが、もしプロの暗殺者なら家族などには危害を加えないだろうし、逆に組織強盗などの皆殺しでは、血のついた靴跡などは絶対に残さない。今回の事件を「常軌」だけで捉えようとすると無理があります。では「常軌を逸した」で片付けてしまうなら、ちょうど数を数えるのに「1、2、3…あとはたくさん」と投げ出してしまうのと同様で、類似事件の再犯防止に役立ちません。というより私個人は池田小事件の事なかれ式スピード処刑が、今回の事件を準備した面があると思っています。

 明らかに異常な事件です。だからこそ「異常」の一言で片付けるのではなく、手堅い理性で「異常さ」そのものを考える必要があります。

 犯行声明はまた<日本警察の捜査能力に疑問>として、自分の利き手や靴など証拠に関する具体的な事項を書き並べました。これから間違いなく「責任能力」を問うことができますから、弁護側は「犯行時、心身喪失状態にあった」とは主張しにくいでしょうし、立件を考えるうえで検察庁にとって有利な情報でもあるでしょう。

 様々な挫折によって社会的に行き詰まりながら、得意なコンピューターの知識を生かし、ネット株取引で生計を立てようと考えていた(殆ど利益はあがらなかったらしいですが)小泉容疑者が、何らかの事情で数百万円の借金を抱え、自暴自棄になり、やはり得意な情報検索の技術を駆使して元次官の住所など個人情報を調べ上げて今回の犯行に及んだ、というのが現在のところ、大方の見方となっているようです。

「犬の仇討ち」確信はいかに形成されたか

 まだあまり指摘されていないようですが、私が気になったのは出頭直前に小泉容疑者がかけた「父親への電話」と、そこで予告された「両親への手紙」です。ほとんど何も語らなかった電話は、少なくとも息子と親との紐帯を示しているでしょう。そして手紙には「犬の仇討ち」が記されていたと言います。

 報道を見る限り、34年前に小泉容疑者になついていた野良犬を保健所に持ち込んだのは容疑者の親であって、保健所は決められた業務を行ったのに過ぎません。さらに「動物管理」は環境省と自治体の管轄で厚生次官は関係がない。ネット株取引で利益を上げられなかった小泉容疑者は、捜査関係者に管轄が違うと言われて「えっ?」と絶句したそうですが、綿密な個人情報も調べられる彼が最終的にその短絡を理解できないはずはありません。

 意識のどこかが凝り固まって、完全に視野狭窄にはまり込んでいたことが、こうした傍証からもよく分かるように思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081201/178731/
 でもそこで、見たくないものは見ないようにし、現実を直視せず、目をつぶったまま「決起」と称して、自分の破壊的行動を正当化するところに、かつてフロイトの言った「エディプス・コンプレックス」ではありませんが、父親や父権、あるいは社会的な力への容疑者の屈折が見えるように思われるのです。私がそう思うのは、オウム真理教事犯の多くの被告が、家庭内の問題や進路への疑問などから「カルト宗教」という別の正義に走っていったケースをいろいろ見たからかもしれませんが、検討されてよい一面だと思います。

 現実世界に、ある「取り返しのつかない絶望」を感じる時、人の脳は「別の正義」を求めるようになります。「水子地蔵」などをきっかけに、霊感商法がトラウマを持つ人に食い込んでゆくのは、この脳認知プロセスを悪用するものです。オウム事件ではこれが「宗教」の形を取って共有化されましたが、宅間守や今回の小泉容疑者のケースでは、個人レベルで「確信」が形成されているのが違うところです。さらに小泉容疑者の場合、生活のほとんどすべてがインターネットなどの情報環境に占有されることで、ヴァーチャルに作り出した自分の価値観の世界の中で、別の正義を報じる「個人カルト」となっていた可能性が高いと思われます。

情報生活習慣病とセルフ・マインドコントロール

 自分が身の回りに張り巡らしたヴァーチャル・リアリティーの牙城で、容疑者は自分自身を正当化する「セルフ・マインドコントロール」の個人カルトを作り出す情報生活習慣病状態にあったことが、強く疑われるのです。そうでなければ犯行声明にある、

 <私はマモノ(元官僚)1匹とザコ(マモノと共生しているやつら)1匹を殺したが、やつらは今も毎年、何の罪の無い50万頭ものペットを殺し続けている。無駄な殺生はするな!!!  無駄な殺生をすれば、それは自分に返ってくると思え!>

 などという表現を理解することはできません。そもそも「無駄な殺生」とは、山口元次官夫妻など今回の事件の被害者にこそ向けられるべき言葉ですが、その矛盾に完全に開き直っているのは、一種の宗教的確信に基づいて自らの正義を信じているケースの特徴に他なりません。

 現在ちょうど、この連載のテーマ「情報の環境問題」と重なる問題を、脳認知の観点から「情報の生活習慣病」として捉え直す書籍を書き上げた所なのですが、このような事件の報道に接し、ことさらに思うのは「異常さ」を正気で理解することの重要性です。

 ちなみにこの小泉容疑者のようなケースは来年5月以後、間違いなく「裁判員裁判」の対象となるはずですが、この事件も2泊3日のスピード裁判で重要な一審を結審してしまうつもりなのでしょうか? それこそ正気の沙汰とは思えません。もし日本の司法権が、再発防止に誠意をもって取り組む正常な用意があるのなら、科学的に信頼の置ける原因究明とともに、何よりもこの小泉容疑者の「セルフ・マインドコントロール」を解き、被害者に心底からの謝罪をさせてから刑罰を確定しない限り、何一つ司法として意味あるけじめをつけることはできないと思います。

ノーベル賞を勘違いした日本人

 元厚生次官連続殺傷事件のようなケースとは全く違うレベルですが、情報の生活習慣による勘違いや誤解の蔓延は、決して私たちの身の回りに珍しいことではありません。

 とりわけ、科学技術の観点から見る時、日本社会には様々な誤謬が広まっています。上にも挙げたオウム真理教では、科学とカルト宗教の混在が「毒ガステロ」という最悪の行動を引き起こさせています。科学技術は一面「力」でもありますから、そうした浅い誤解は極めて危なっかしいものだと私は思います。日本にノーベル賞が来た、とお祭り騒ぎをする、同じ国民が「オーラがどうした」とか「前世がどうたら」というテレビ番組で視聴率が上がり、毒舌占い師や霊界タレントの本が売れてしまう。そういう日本社会の現状は、とても危ういものだと思っています。

 そもそも第2次世界大戦直後の1949(昭和24)年、湯川秀樹博士にノーベル物理学賞が来た時、日本社会がその価値や意味を大きく勘違いしたことが、日本国内での「ノーベル賞のイメージ」を、大きくおかしなものにしてしまいました。

 湯川さんへのノーベル賞は、いまだ焼け野原が広がる日本に「明るいニュース」としてもたらされました。

 当時の新聞を見てみると「日本人で最初の栄誉」「世界に輝く中間子論」といった活字が躍っています。

 敗戦で打ちひしがれていた日本が、戦争では負けたけれど科学では世界に認められたと、「ノーベル賞」=「科学の世界最高峰」と短絡してしまい、業績の内容や受賞の意味などを理解しないまま、お祭りと奉ることに慣れてしまったからです。

 以前、大学1年生たちに「湯川博士を知っているか」と尋ねたことがありました。100%「知っている」と答えます。そこで

 「どういう業績で受賞したのか?」と尋ねると「中間子」という言葉が出てくる学生が2割程度、8割は中身を知らずに「偉い人」としてのみ名前を知っているだけでした。そこでさらに

 「では中間子論とは何か?」と尋ねると、何とか説明になる学生は100人に2、3人まで減ってしまいました。そこで、ここでは難しい詳細には踏み込みませんが、まず湯川博士の業績がどういうものだったのか、というところから考えてみたいと思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081201/178731/?P=2
原子核物理学者、湯川英樹

 ノーベル財団のホームページで湯川博士の業績を見ると

 「核力の基礎的な理論的業績に基づく、中間子の存在を予言したことに対して」ノーベル物理学賞を授賞したと書かれています。しかし21世紀の多くの大学生は、後年、平和運動にも尽力した湯川博士が「核」の科学者、それも最もポイントとなる理論を作ったキーパーソンだということを、ほとんど知りません。

 湯川博士は1935(昭和10)年、原子核を構成する陽子や中性子が電磁気的な反発力を超えて「強く」結びつくメカニズムを、世界で最初に説明するモデルを提出して、ただちに各国の物理学者の注目を集めました。3年後の1938年、ナチス政権下のドイツでカイザー・ヴィルヘルム研究所長を務めていたオットー・ハーンが、「ウラン235」を用いて核分裂反応を起こすことに成功します。そこで、今まで空想のように思われていた「原子爆弾」がにわかに現実味を帯び始めました。

 ドイツが核分裂に成功したこの年のノーべル物理学賞は、イタリアの万能物理学者、エンリコ・フェルミに与えられました。フェルミは12月にストックホルムで開かれた授賞式に出席しますが、そのままムッソリーニ政権下のイタリアには戻らず、米国に亡命してしまいます。フェルミの奥さんがユダヤ人だったからです。この亡命は歴史を大きく変えました。

 38年の時点で、世界で最も核科学が進んでいた国は、イギリス、フランスなどと並んでオットー・ハーンのドイツ、エンリコ・フェルミのイタリア、そして理論家として核力に先鞭をつけた日本でした…お気づきでしょうか。これは日・独・伊という、第2次世界大戦で負けた「枢軸国」の中心3国です。この翌年、ドイツがポーランドに侵入して第2次世界大戦が始まり、2年後の真珠湾攻撃から太平洋地域にも戦火が広がります。

 ハンガリーから米国に亡命していた若い物理学者レオ・シラード、ユージン・ウィグナー、エドワード・テラーの3人は、ヒトラーのお膝元で核分裂が成功した事実に驚愕します。そして39年、やはりナチスの惨禍を避けて亡命していたアインシュタインに署名してもらい、ルーズベルト大統領宛に原爆開発を勧める手紙を送ります。

 ほどなく41年から原子爆弾開発の「マンハッタン計画」がスタートし、イタリアから亡命したフェルミが中心的な役割を果たしました。第2次世界大戦が米国の日本への原子爆弾投下で終わるのは1945年8月、この間たった4年ほどのことです。

日本への原爆投下を巡る攻防

 当初はドイツ向けの使用を念頭に開発された原子爆弾は、45年3月の調査でナチスが原爆製造に成功していないと分かり、5月に欧州で停戦が成立すると、日本向けの使用が検討され始めます。

 米国で原爆開発に関係した科学者は、無思慮な日本への原爆投下を牽制するよう運動を始めました。6月にはドイツから亡命したユダヤ系物理学者ジェームズ・フランク(25年のノーベル物理学賞)らが原爆の使用をけん制する「フランク・レポート」が大統領の諮問機関に提出されます。しかしそれが採択されることはありませんでした。このフランク・レポートには原爆の提案者シラードも名を連ねています。7月に最初の原爆実験に成功すると、トルーマン民主党政権はこの新型兵器を早々に実戦投入することを決定します。

 さらにここからが極めて問題なのですが、原爆の破壊力の確認と、事後への威嚇の意味なども含め、原子爆弾は戦闘の最前線でなく、非戦闘員が普通に生活している都市に投下するという判断が下されます。それが広島であり長崎でした。後に共和党大統領となるアイゼンハワーやマッカーサーなど、米軍内部にも猛烈な反対もありました。

 しかし、すでに大戦後を見越して、とりわけスターリン体制のソ連への「抑止力」として原爆を利用するアイデアを、トルーマン政権は実行に移してしまいます。あろうことか原子爆弾は、核力のメカニズムを最初に明らかにした湯川博士の国、日本に「実験投下」されました。普通の暮らしをしていた数十万の非戦闘員が一瞬にして命を失い、生き残った人々は、長く放射能障害に苦しむことになってしまいました。こうした永続する2次被害は、物理学者はもとより、政治家や軍人も全く考えていませんでした。

償いとしての湯川博士への授賞

 49年、湯川博士にノーベル物理学賞が授与された背景には、ノーベル物理学賞の選考委員でもある「マンハッタン計画」に責任を持った多くの物理学者たちの明確な「後悔」と「謝罪」の念が込められています。

 学術的な流れだけで考えるなら、湯川博士の受賞は戦後の1947年、イギリスのセシル・パウエルが湯川博士の予言したπ中間子を発見したことが契機となったとされています。

 実際49年に湯川博士、50年にパウエルがノーベル賞を受賞しており、公開されたノーベル賞の推薦文書や選考経緯なども科学的に厳密な話だけで説明がつくように見えます。しかしノーベル賞には、この個別審査以前に「企画段階」というべきレベルが存在しています。湯川博士への単独授賞は、明確に「原爆投下への謝罪の意を込めて、日本科学を世界第一線のものと承認するセレモニー」としても企画されたものだと考えられます。

 強調しておきますが、これは湯川博士の業績をいささかも低めるものではありません。しかし湯川博士以前、明らかに超ノーベル賞級の業績を挙げながら、評価されなかった日本人科学者もたくさんいるのです。そもそも第1回ノーベル医学・生理学賞を受賞したベーリングの業績は、研究室のリーダーだった北里柴三郎博士の仕事のごく一部に過ぎません。業績の価値とノーベル賞が持つ政治的な意味合いは、けじめを付けて考えるべきものです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081201/178731/?P=3
「マンハッタン計画」科学者を封印するノーベル賞

 湯川博士の受賞後、米国で原爆開発の「マンハッタン計画」に関わった科学者へのノーベル賞授与は、10年にわたって封印されてしまいます。ちょうどこの時期は、米ソの水爆開発競争が最も熾烈を極めた時期でした。

 広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という銘文が記されていますが、これと同じメッセージが、欧米先進国の物理学界の創意として、湯川博士への授賞には込められています。

 「2度とこんな過ちは繰り返しません。どうか日本人の皆さん、そして日本人科学者の皆さん、私たちが力を合わせて開発した原子爆弾が、軍部の暴走によってあなたたちの国に投下されてしまったことを、許してください。

 原爆を投下したのはトルーマン司令官以下の米軍ですが、この兵器を作ったのは私たち科学者です。科学者は、自分たちが作ってしまった兵器という鬼子にも、きちんと責任を取らねばなりません。この謝罪の気持ちを込めて、私たちは日本の科学が世界第一流の水準にあることを承認します。どうか私たちの罪を許してください。2度と過ちは繰り返しませんから」 

 こうした気持ちは必ずしも公式文書では伝えられません。当時日本はまだ進駐軍が占領中、まだ講和条約が調印される以前で、政治的メッセージは出せませんでした。しかし、原爆開発に関わった大半の科学者は、自分たちの作ってしまったものと、それが与えた甚大な被害に深く反省し、来日のたび原爆投下への遺憾と謝罪を繰り返しています。

「原爆以後」の物理学者たち

 今私がこうやって強調しなければ通じないほど、21世紀の日本社会では湯川博士へのノーベル賞と原爆との関連は、結びつけられなくなってしまいました。

 原爆開発を勧める手紙に署名したアインシュタインは、広島投下の報を聞いて絶句して二言目が出てきませんでした。戦後は「原子科学者緊急委員会」の委員長を皮切りに最晩年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」まで核兵器廃絶を訴えて奔走しています。

 原爆開発を進言したレオ・シラード博士に至っては、広島への投下にショックを受け、物理学の研究自体をやめてしまいます。彼は勃興しつつあった分子生物学に転向し、国際的な平和運動に駆け回ります。もう破壊と殺戮はするまい、むしろ生きるために物理の強い力を使おう、と考えたのです。

 何より湯川博士自身がこうしたメッセージを最も強く認識していました。55年には日本国内で「世界平和アピール7人委員会」を設立、57年にはアインシュタインの遺言のような「パグウォッシュ会議」にシラード博士、朝永博士らとともに名を連ね、生涯一貫して核の危険性と平和の重要性を訴え続けられました。中間子論以来の湯川博士の共同研究者、武谷三男博士も、晩年まで国際的な平和運動に尽力しています。

 放射能の2次被害が永続する核の問題は、短期的な政治のパワーバランスで考えるような問題ではありません。本当に人類を滅亡させる威力を持った兵器です。世界の科学者の圧倒的多数も、同様に考えています。また大変残念なことですが、大学に勤めるようになり国際会議などの場で、21世紀の日本の責任ある立場の科学者で、こうした問題に全く旗色不鮮明な人が少なくないという現実も知るようになりました。

戦時科学実験としての長崎原爆投下

 百歩譲って、広島への原爆投下がソ連軍の北海道・本州上陸への牽制の意味があったとしても、長崎への原爆投下には戦略的な意味は一切存在しません。長崎で行われたのは、綿密に計画された軍事科学上の実験だったからです。

 広島に投下されたのは「ウラン型」でしたが、より扱いやすい「プルトニウム型」の原爆を、広島と同様「やはり人々が生活する、似たような海辺の都市」に投下して、破壊力を比較する、軍事科学の「対照実験」であったことが明らかになっています。

 米軍は広島・長崎への原爆投下に先立って、通称「パンプキン爆弾」と呼ばれる「模擬原爆」を日本に大量投下しているのです。

 「パンプキン」は長崎原爆「ファットマン」と同じ躯体にTNT火薬を詰めた1万ポンド軽筒型爆弾で「模擬」といっても本物の殺傷兵器です。

 原爆による「都市破壊力」を「正確に測定」するために、パンプキンの投下では原爆の想定攻撃目標地は避けられました。この投下によって何千、何万という人が命を失い、家屋を焼かれ、その破壊効力自体を米軍は「基礎データ」として積み上げました。

 実際の原爆は、まず広島に「リトルボーイ」を落とし、次に「パンプキン」で比較データを大量に集めた「ファットマン」を長崎に落としたのです。こうして、日本と日本人を実験台に、マンハッタン計画の最終段階として「原子爆弾の破壊力」を「科学的に検証」する「投下作戦と評価」が遂行されました。

 原爆の直接犠牲者だけでも広島で推定14万人、長崎で8万人、被爆した人の総数は50万人にも達しますが、これに加えて「パンプキン爆弾」による死者など、軍事科学実験の犠牲者の総数は、もっと大きな数に上るのです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081201/178731/?P=4
講和条約で発言できない日本政府

 こうした事実は日本国内ですら驚くほど知られていません。それにはいくつかの理由があると思います。1つは、先ほどお話ししたように、湯川博士のノーベル賞が、まだサンフランシスコ講和条約が結ばれる以前であったため、報道に限界があって、原爆を巡る政治的な問題は周知されず、ただただ「科学の最高権威から評価された」という「暗い世相に明るい話題」のお祭りに終始してしまったことで、これはいまだに尾を引いていると思います。

 当時はまだダグラス・マッカーサーが日本に進駐していた時期で、さらに水爆開発競争のさなかでもあったので、中間子論と核開発の密接な関連など、報道では触れることができなかったでしょう。この副作用の1つが「ノーベル賞は、業績は難しくてよく分からないけれど、要するに凄くてエライ」という現在に至る短絡を生んでいるように、私は怪しんでいます。初のノーベル賞は国民の科学常識をアップさせる絶好の機会でしたが、日本はそのタイミングを逸してしまいます。

 実は長崎への原爆投下が実験であったことは、私自身40歳を過ぎるまで知りませんでした。2005年8月、原爆投下60年の記念行事を主催したのですがその際、元長崎大学学長で、湯川、朝永両博士が創設メンバーである「世界平和アピール7人委員会」委員の土山秀夫先生から伺って、初めてきちんと認識できました。

 その後さらにパンプキン爆弾投下の事実が明らかになり「原爆破壊力の効果測定」という科学実験の側面がいよいよ明確になってきました。実はこの「原爆の実験性」も日本へのノーベル賞授与と大変に深い関係を持っています。後にお話ししましょう。

 もう1つの大きな理由は51年に結ばれたサンフランシスコ講和条約です。ここで日本は「賠償は役務賠償のみとして、米国に対するあらゆる請求権を放棄」することを約束しました。これによって日本「政府」は、公式には原爆についてほとんど一切、発言ができなくなってしまいました。

 政府のこの方針に釣られるようにして、国内マスコミも原爆に関する政治的な表現を一切自粛するようになります。毎年8月の原爆犠牲者慰霊行事でも、核の惨禍が天災のごとく描かれ、核の悲惨さと平和の大切さだけを訴え、その科学的背景や科学を含む国際政治の綱引きなどは、完全に視野の外に出てしまったのだと考えられます。さらに科学者までもが、政府方針と違う核に関する意見など下手に表明して、予算上不利になったりしないか、などといった理由にもならない理由を含め、こうした重要な問題を考えなくなってゆくのです。こうしたことが一番怖いと思います。
 
「ノーベル賞に隠された驚くべき背景」へ

 現実には、アインシュタインの「遺言」のようにして作られた「パグウォッシュ会議」の創設以来、湯川、朝永両教授が出席するなど、国際的な科学外交では日本は重要な役割を期待されています。自覚を持ったごく少数の科学者が志を継いでいますが、一般には全く伝わりません。

 実は外務省にも「役所としては何も言えないが、民間には縛りはないのだから、原爆投下の問題など大いに主張してほしい」という本音があるのです。パンプキン爆弾に関するテレビ番組なども作られるようになりました。

 世界の殆どすべての国が、そして科学機関が「唯一の被爆国日本」に対してものすごい神経を使っています。ところがいろいろな理由で、当の日本だけが、こうした配慮に全く鈍感という、非常に不思議な状態が起きているのです。その原点を考えると、どうしても日本社会が、湯川博士へのノーべル賞授賞を誤解した経緯に行き着いてしまうのです。

 前回コラムに読者の方から「田中耕一さんのノーベル賞の背景は?」というお問い合わせを頂きました。田中さん授賞の背景は、日本企業と企業人に、米国のIBMやGEなど、先進各国企業とその研究者の基礎研究への貢献を呼びかけ励ます「一般人代表」としての側面がある、と聞いていますが、これだけ単発的に申しても全体像が分かりにくいと思います。すでにお話しした南部、小林、益川各博士、また今回の湯川博士を含め、ノーベル賞を受けた日本人 15(16)人のすべての業績について、その意味と、背景に存在する驚くべき事実など、順次お話ししてゆきたいと思います。

(つづく)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081201/178731/?P=5
ノーベル賞選考のメカニズム
日本に寄せられる期待とは何か?

* 2008年11月26日 水曜日
* 伊東 乾

ノーベル賞  ルワンダ  ローズ・カブイエ  スティーヴン・ホーキング  逮捕  イノベーション  平和憲法  原爆  選考委員選考  下村脩  ドイツ  益川敏英  キャッチアップ  推薦状  科学技術  高官  ロバート・オッペンハイマー  ノーベル平和賞  南部陽一郎  小林誠  推薦者選考  多段階選考  フロントランナー  非対称性  フリーマン・ダイソン  エドワード・テラー  ゲーム理論  ジェノサイド  ジョン・ナッシュ  コア・コンピタンス  スウェーデン  水爆  湯川秀樹  宇宙開発  フランス 

 米国でオバマ次期政権の誕生が決まった直後の11月9日、ドイツを公用で訪問中だったルワンダ政府高官、ローズ・カブイエ儀典長はフランクフルト空港に到着したところで身柄を拘束されました。フランスの逮捕状を執行されたのです。11月20日にはドイツからフランス側に身柄を引き渡されました。

ドイツで逮捕されたルワンダ高官

 カブイエ儀典長はカガメ現ルワンダ共和国大統領の長年の副官で、亡命トゥチ勢力としてウガンダから攻め入った時期から参謀を務めてきた重要人物です。

 逮捕の容疑は、1994年4月、当時のハビャリマナ・ルワンダ共和国大統領とヌタリャミラ・ブルンジ共和国大統領を乗せた飛行機がキガリ空港近くで撃墜された暗殺事件に関与した、というものです。

 2006年に「これがきっかけになってジェノサイドが起きた」としてフランスでカガメ大統領を含む刑事告訴が行われ、ここでフランスのジャン・ルイ・ブリュグイエ判事による令状が執行されて、今回の逮捕となりました。

 言うまでもなくルワンダ共和国は、現在国連に加盟する国家として認められています。しかし、ウガンダからポール・カガメ大統領率いるルワンダ愛国戦線(FPR)が進攻した時点では国家の実権を掌握していませんでした。2006年にフランスで起こされた訴追は、この当時に遡る形で、ルワンダを国家と認めず、いわば「武装勢力扱い」するものでしたから、必然的にフランスとルワンダは国交を断絶することになります。

 当然ながらルワンダ政府は激しくこれに抗議しています。ルワンダ大使館の公式見解を紹介しておきましょう。

 フランスとの国交断絶後も、国連の潘基文事務総長や日本の緒方貞子さん、あるいはサッカーの中田英寿氏などもルワンダを訪問し、この5月横浜でのアフリカ開発会議(TICAD)にはカガメ大統領も来日して参加、日本はこの国の戦後復興に協力しています。

 またこの連載にも記したとおり、私も科学技術と教育を通じてこの国の戦後復興をサポートする1つのプロジェクトに責任を持っています。

フランスに巻き込まれたドイツ

 ルワンダではこの8月に、1994年のジェノサイドにフランス軍兵士が直接加担していたことを示すレポートを公表、次いで公教育でフランス語を廃止することが決定されました。ちょうど北京でオリンピックが開かれ、ロシアがグルジアに進攻し、ニコラ・サルコジ仏大統領の調停で停戦が成立しながら両国が国交を断絶した時期のことです。

 その後国際金融不安と米国大統領選挙があり、バラク・オバマ氏が圧勝した直後、サルコジ政権になってから初めて、非常に明確なルワンダへのアクションがあったわけです。

 今回はフランスがドイツに協力を求めてこの逮捕と身柄の引き渡しが起きていることが、とりわけ懸念されます。

 実はすでに今年の4月と11月初旬に、予定されていたカブイエ儀典長の訪問にはドイツから警告がなされていました。

 ドイツとしては、決してルワンダと国交を断絶したくありません。両国の間には緊密な連携があり、この2月にもホルスト・ケーラー独大統領がルワンダを訪問しています。11月12日 カガメ大統領は駐ルワンダ・独大使に48時間以内の国外退去を言い渡し、また駐独・ルワンダ大使の召還を決定しました。

 今回の身柄の拘束は、フランスからの強い要請により、欧州連合(EU)内のルールに従って行わざるを得なかったもので、ドイツとしては頭の痛いところなのです。

 また、ルワンダ側としても「われわれを国家と認めるか、否か」と問うような意味で訪問を敢行し、その後の処置を見守ろうという側面があります。当然ながらこの拘束はアフリカ連合(AU)に加盟するすべての国から非難を受けています。

「板ばさみ」になるか、調停者として働くか

 フランス、ドイツと来ると、気になるのは米国の反応です。ジョージ・ブッシュ末期/オバマ政権の米国がルワンダ問題にどのように反応するかは、世界のパワーバランスを考えるうえで、極めて重大な試金石になってしまいました。

 11月14日掲載の前々回の記事で私は、オバマ氏のルーツで、米国の(東)アフリカ政策の拠点であるケニアのナイロビ市内に掲げられた、独仏和合のプロモーション写真を貼付しておきました。その裏ではこうした動きが起きていたのです。

 正直、この問題は私自身にも非常に痛みが伴っています。一種の板ばさみの状況とも言えるからです。なんと言ってもドイツとフランスは、18歳での最初の留学以来、音楽家の私が最も長く関わってきた、自分にとって大切な国です。実は今、この原稿を打ち(20日)校正しているのも(25日)、欧州出張中でドイツ国内を移動しながらに他なりません。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081125/178209/
20世紀初頭の第1次世界大戦以後、ドイツは植民地を持たない国になりました。それから1世紀を経て、独仏が手を結ぶEUという単位で、旧植民地と旧宗主国との緊張に、微妙な形で巻き込まれる、なんとも歪んだパワーバランスになってしまいました。

 でも、こうした政府間の対立などと独立して、ルワンダなど途上国民衆への援助・救済、そして復興支援は一貫して行われるべきものだと私は考えており、その一端で私自身も仕事をしています。

 やはり植民地を持たない先進国として戦後60余年、国際経済をリードしてきた「日本国」の一員として、私は、長年の友人であるEUとも、またここ数年、新たに手を携えたアフリカとも、大切な関係を保っていきたいと考えています。自分の持ち場に関わる部分に関しては、双方に衝突を避けるよう働きかけながら、ローカルな調停者として教育・人材育成・イノベーションと国際協調の可能性を説いていかねばならないと思っています、

 ただこの問題は明確な経済的利害が存在しますので、安全な渡航が保障されない場合には、現地に行くことも難しくなる危険性があります。

 前回まで数回、自衛隊の問題などを記しました。とりわけ11月7日の回以後の記事は、再び激化しつつあるコンゴ東部での紛争や、今回のカブイエ氏の逮捕など、私の身近で動きつつある国際情勢を見ながら、日本の立ち位置を考えるつもりで書いたものでもあります。

 中立な先進国として日本が堅持すべき良識とは何か。ここでのキーワードも再び、教育・人材育成・イノベーションであり国際協調と経済発展と思っています。

 緒方貞子さんや私が、科学技術をカギにルワンダの復興に協力しているのは、直接的にEU(とりわけフランス)利権と対立しようとするものではなく、民衆に根ざした国際協調、復興支援の観点です。

 それが期せずして新冷戦体制の台風の目の1つになってしまった時、武力を含む日本の立ち位置を考えるうえでは、どうしても憲法まで遡る必要があります。場合によっては当然ながら国連PKO(平和維持活動)などの動きも念頭に置いて考えねばならないでしょう。そんな中で、自衛隊の位置、指揮系統、被爆国日本が擁する平和憲法の、日本人が十分に認識していない国際的な価値など、プロジェクトをご一緒している外交関係者を含め、広く一般の読者に読んでいただけるこの場で、現実的に論点を整理している次第でもあります。

 ちなみに読者の皆さんからコメントを頂戴するのは大変ありがたいのですが、特にここ数回、私が記す内容から完全に外れ、無関係な設定でお話を頂くものもあるようです。リアクション自体、貴重な参考にさせていただきますが、できればコラムの内容に沿ったコメントを頂ければ、お答えすることができると思います。

 ルワンダでの最新の動きに関しては、NHK衛星第一放送(BS1)BS世界のドキュメンタリー<シリーズ 和解への苦悩>“償い”への家造り~ルワンダ・集団殺戮からの模索~(11月27日(木)午後9:10~。再放送12月11日(木)午前10:10~11:00)で、このコラムでもご紹介した佐々木和之さんの現地での活動と合わせて放映があります。ご興味の方には、ぜひごらん頂ければと思います。

 なお、佐々木さんを始めとする民間スタッフやJICAの青年海外協力隊員たちは現地で尽力していますが、いまのところ日本の外務省ホームページはこの件に関して、アクティブな姿勢は打ち出していません。

国を国として認めさせる科学力

 軍事は1つの国を諸外国から認めさせる1つの要素ではありますが、国が国である必要条件にも十分条件にもなっていません。バチカンやリヒテンシュタインのように、スイス傭兵を安全保障に恃(たの)む国も存在します。

 これと比較する時、文化的な力は、どのような外圧に対しても「民族自決」などの正義を打ち立てるパワーとして機能することが改めて分かります。バチカンなどは最たるものでしょう。とりわけ科学技術の力は、軍事そのものの威力も保障し、さらに実体経済の成長まで担保する、現在の国際社会で、さしずめ「一国」の究極的な価値基準になっていると言っても、決して大げさではありません。上に挙げたスイスもリヒテンシュタインも、各種のコア・コンピタンスの旗を立てて、国を立ち上げています。

 日本は世界中の途上国をリードして、科学技術を通じての経済成長と共存、共栄を呼びかけるリーダー役を期待されており、大変に腰は重いですが、少しずつその任を果たし始めています。福田政権の下で5月に行われたTICADなど、ご記憶の方も多いでしょう。その「科学力」の1つの指標として「ノーベル賞受賞者の数」を考えることができます。

 2008年現在、日本国籍を持つ人でノーベル賞を受賞した人は合計で15人になりました。これに米国籍の南部陽一郎先生を勘定に入れて16人とすることもあります。この15~16人の時系列に沿った「分布」を調べると、あることに気がつきます。

 20世紀の間にノーベル賞を受けたのは湯川秀樹(1949)、朝永振一郎(1965)、江崎玲於奈(1973)、佐藤栄作(1974)、福井謙一 (1981)、大江健三郎(1994)の6氏で、1948年から1999年まで51年間で均せば8.5年に1人、つまり「およそ10年に1回出ればいいノーベル賞」でした。

 ところが2000年以降、とりわけ自然科学系で日本人のノーベル賞受賞が相次ぎます。白川秀樹(2000)、野依良治(2001)、小柴昌俊 (2002)、田中耕一(2002)そして2008年の(南部陽一郎)、小林誠、益川敏英、下村脩と、2000年以後の9年間で7~8人のノーベル賞受賞者が出ている。つまり「ほぼ毎年1人出る日本向けのノーベル賞」へと、劇的と言って全く大げさでない転換が起きているのです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081125/178209/?P=2
自覚なきリーダー、ニッポン

 21世紀に入り「先進国集団」の意思と緊密につながった「ノーベル賞」が、日本に対して、かつての「10年に1度」から「ほぼ毎年」に受賞頻度を上げたことの背景には、内外を経済的にリードする日本に、国際的な基礎科学推進の土台を支える側に回ってほしいという、明瞭なメッセージが込められています。しかし、ここでの「リード」や、結果的に相当の責任を負っているという自覚が、日本国内では共有されていないと思います。

 技術革新の言葉で言うなら、21世紀初頭「キャッチアップ」から「フロントランナー」へ、というスローガンが連呼された時期があります。戦後一貫して米国という目標があり、それを追いかける中で、独自の工夫を凝らすことでコスト削減などを達成、競争力を持ってきた日本でしたが、米国が飽和し、これから緩やかな下降線をたどろうという「尾根」にあった2000年から、積極的に世界の科学技術のリーダーとして自覚を持って「予算を割き」「国を開き」(日本の「学術的鎖国」についてこれから数回にわたってお話しすることになります)国際的に「人材を育成し」「様々な調整役も買って出る」リーダーの役割を期待されているのです。

「ノーベル賞受賞者社会」

 288。何の数字と思われるでしょうか? これは2008年12月現在生存している、文理合わせたすべての「ノーベル賞受賞者」の人数です。これ以外に平和賞が「国際赤十字」「国境なき医師団」「アムネスティ」などの法人にも与えられ、これが23件ありますから「ノーベル賞を受けました」と言って活動できる個人や団体は、地球上に300以上存在しているわけです。

 そこで、生きているノーベル賞受賞者数を分野別に見てみましょう。物理学賞が最も多く、ついで医学・生理学賞、化学賞、経済学賞、平和賞と続いて、文学賞が最も少ないことが分かります。これは物理の業績が比較的若い時期に達成されるものが多いこと、医学・生理学賞の受賞者は長生きの人が多いこと、文学賞は高齢になってから与えられるのが多いことなどが理由でしょう。また、圧倒的多数が男性であることが分かります。

 文理で分けると理科系3賞の合計が198人。文科系3賞の合計が87人+23法人。賞ごとに見てみると文系は、

平和賞 30人(うち生存女性7人=23%)
文学賞 20人(うち生存女性5人=25%)
経済学賞 37人(うち女性0人、未だかつて女性受賞者なし)

で合計87人。文科系全体の女性比率は約13%。理科系は

物理学賞 79人(うち生存女性0人)
化学賞 53人(うち生存女性0人)
医学・生理学賞 69人(うち生存女性5人=7.2%)

で合計201人。理科全体の女性比率は約2.5%で、約97.5%は男性だと分かります。

 2008年現在、生き残っている日本人・日系人のノーベル賞受賞者は江崎、利根川、大江、白川、野依、田中、小柴、(南部)、小林、益川、下村の10(11)氏です。

 これでは天然記念物並みに希少な数で、すぐに神棚に奉ってしまう一因にもなっています。しかし世界に目を転じれば自然科学者だけで約200人、文系3賞で約100人、合わせて300人という数で、ハーバードやプリンストンなど1つの大学に3人4人とノーベル賞受賞者がいる所も少なくありません。世界では300人以上の「超ノーベル賞級」の人々が盛んに国際的活動をしているわけです。300人といえば、中学や高等学校の1学年分にも相当する人数で、ノーベル賞受賞者集団だけで1つの「社会」を形成することができます。中には様々な人がおり、意見の対立なども当然存在するので、いろいろなノーベル賞受賞者からホンネの話を聞くと、構図が分かって中々面白いものです。

選考委員候補としての受賞者

 この300人という数字はいろいろな意味を持ちます。一番分かりやすいのは、新しいノーベル賞受賞者を選ぶ「選考委員」がこの中から選ばれるということでしょう。これを理科系で分野別に見てみましょう。

 物理と医学・生理学がおのおの約70人、化学が少し少なくて約50人。これだけのノーベル賞受賞者の中から、毎年その年に授与する分野の方針に合う形で3~4人以内の選考委員が選ばれているはずです。選考委員は5人、そのうち委員長は多くのケースでノーベル賞受賞者以外のスウェーデン人科学者が就任しており、彼らは記者会見などで名前も顔も明かしています。しかし選考過程自体は厳密に秘密が守られて、誰が選考委員なのか、50年が経過して情報が開示されるまで分かりません。

 もし科学に責任を持って厳密な審査をしようと考えれば、選考過程はおのずから方法が限られてきます。公開されている情報によれば、ノーベル賞の企画部門は、毎年1分野について200~300以上、全部で3000通にも及ぶ「ノーベル賞にふさわしい候補者」の推薦アンケートを、世界の有識者に発送しているとのことです。この数は多いでしょうか、少ないでしょうか? ちょっと考えれば、大変に少ない数だと分かります。

 今世界の物理学者に300通のアンケートを取るとしましょう。国連加盟国は2008年現在192あります。もしすべての国に2通ずつ送ると、あっという間に300を超えてしまいます。では仮に科学者の多い米国や欧州、日本には2、3通出すことにするとします。日本に物理学者はいったいどれくらいいるのでしょうか? 日本物理学会の会員数は約18000人ですから、そこに2通とか3通というのは0.01%台という希少さであることが分かります。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081125/178209/?P=3
「公正な選考」のための多段階システム

 ノーベル賞のスタッフは統計など科学的な知識を持っているはずですから、無作為に抽出して「推薦者」を選んでも、まともな結果にならないことは知っているはずです。

 実際には欧米先進国を中心に、40~50カ国程度に、1年当たり1つの国に3、4通以上、分野を絞って「その道の大家複数」に推薦状のアンケートを送っているでしょう。

 もちろんアメリカは科学者が多いですから、アンケートを送る数も多いでしょう。しかし米国に偏り勝ちという批判が必ず来ますし、50年後に情報が開示された時困るようなことはしないはずです。いろいろな配慮をしているでしょう。

 公開されている情報は「300通ほどの推薦状」という数字だけですが、ちょっと考えれば、この「推薦人」を選ぶ時点から、かなり慎重に準備しないと、あとあと非難を受けない公正な選考は決してできないことが分かります。

 スウェーデン王立科学アカデミーなどは、あまりあからさまに語りませんが、合理的な推理と状況証拠から、私は明確に「ノーベル賞には企画段階がある」と記すようにしています。受賞業績を10年単位などで区切ってみると、物理なら素粒子、物性、理論、実験などのバランスが非常によく考えられています。これは「企画段階」で「今年はこの分野に」という方向性まで、間違いなく決定しているからと考えてよいでしょう。原爆の区切りの年などを見ても、企画とメッセージ性、ノーベル賞の個性があるのは明らかです。

 ある年のノーベル賞の方向性が大まかに決定したら、その分野で最も顕著な業績を上げた人が誰なのか、正確に評価できるように、バランスの取れた300通程度の「推薦状」を誰に送るかから、準備は始まるはずです。これはマーケティングなどの社会調査と全く同じでしょう。

 「誰に受賞させるか」まであらかじめ決めるということは少ないと思いますが、どの範囲から受賞者を出すかはきちんと準備、企画しなければ、正確に候補者を絞り込んでいくことはできません。賞は一度発表してしまうと、あとで取り替えが利きませんから、選考は厳密を極めると思います。業績調査は雑誌論文だけでなく、大学内の紀要レベルにまで及ぶそうで、詳細な調査に感激したと利根川教授をはじめ多くの受賞者も証言しています。また、こうした地道な下調べは「選考委員」が行っているわけではありません。ノーベル財団側の、たぶん博士号を持った専門の調査担当者が、世界各地に出張しているはずです。

多段階選考で両立する「政治」と「厳正さ」

 典型的なのは1994年に経済学賞を受賞したジョン・ナッシュ氏のケースでしょう。ナッシュ氏は経済学で標準的な「非協力ゲーム理論」を作り上げた数学者ですが、後年は精神を病んで、その奇行が世に知られていました。

 1993年、翌年の経済学賞を「ゲーム理論」に出す企画を立てた委員会は、世界の経済学者にアンケートを取ったはずです。そこで大半の推薦者がナッシュ氏の名前を挙げたでしょう。その年の1月に集計された結果が選考委員会で検討され、ゲーム理論に出すのなら、ジョン・ハーサニ氏、ラインハルト・ゼルテン氏らと並んでナッシュ氏を外すわけには行かなさそうだと目算が立ちます。そこでスウェーデンから、探偵かスパイのような担当者がプリンストン大学に密かに飛んで、ナッシュ氏の素行調査までしたらしいです。調査の結果、問題なしと判定されて、秋にノーベル賞が授与されました。

 このように、ある年にどのような分野から受賞者を出すかは、推薦アンケートの送り先から選考委員の選定まで、事前の段階でほぼ確定しているはずです。そしてその限られた範囲の中から、スタッフと選考委員は誠実かつ厳正な審査を行って、受賞者を決定するわけです。

 ノーベル財団の「意図」が明確に働くのは「選考委員選考」そして「推薦者選考」の段階と、最終的な人選の3つの段階で、その途中に関しては「神の公平な手」ならぬ、国際的な科学界の総意に多くを任せる、というスタンスを一貫して取っていることに注意するべきでしょう。

 世の中では「選考が政治的だ」「いや厳正だ」といった大掴みな議論もされるようですが、文学賞、平和賞なども含め、こうした多段階の審査プロセスを踏まえることで、ノーベル賞は「様々なバランスに配慮しつつ」「科学的に厳正な選考」を、大変な労力と予算を使って続けているのです。

ノーベル賞から外される大科学者たち

 この「最終選考で外される」典型的なタイプの科学者を挙げておきましょう。プリンストン高級研究所名誉教授のフリーマン・ダイソン博士 (1923~英→米)です。南部教授と同世代で、業績だけで考えれば幾つノーベル賞を貰ってもおかしくありません。「相対性理論」と「量子力学」を組み合わせる先駆的大業績「ダイソン方程式」の生みの親でもあり。素粒子、宇宙物理から統計基礎論、「整数論」などの基礎数学まで、およそ物理学全般に基本的業績を上げている「最後の巨匠」的な大物理学者です。

 ダイソン氏はまさに歴史的人物ですが、ある理由から、私は彼がノーベル賞を受賞する可能性は極めて低いと思います。それは、あまりに有名になりすぎた彼の「軍事科学への協力」が、ノーベル賞が大切にしている平和への姿勢など、賞の個性とブランドと、どうしても噛み合わないからです。

 原爆の父ロバート・オッペンハイマー氏は第2次世界大戦後、一転して平和主義者になりましたが、終生ノーベル賞を受けることはありませんでした。業績だけで考えれば間違いなく「よくあるノーベル賞受賞級」以上の科学者ですが、「原爆の父」であることがノーベル賞の個性とどうしても折り合いがつかなかったことが想像されます。

 水爆の父エドワード・テラー氏は、逆に終生タカ派で知られ、冷戦末期のレーガン政権でも軍事顧問を務めて、宇宙軍拡を主張し続けました。ちなみに楊振寧博士の卒業論文指導教官はテラー博士だそうです。業績も、教育者としての能力も超ノーベル賞級の科学者ですが、テラー博士にもノーベル賞は出ませんでした。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081125/178209/?P=4
フリーマン・ダイソン氏の場合

 先ほどのダイソン氏は、物理のみならず戦略科学でも「生みの親」に近い業績を上げています。第2次大戦時は核開発には関係しませんでしたが、英国軍内で現代戦略科学の原点「オペレーションズ・リサーチ」に貢献して、英国軍の作戦立案の中枢で働きました。また戦後米国に帰化すると、今度はペンタゴンやNASAのブレーンとして、冷戦期の軍事科学で活躍しています。

 ヒロシマ原爆の核弾頭を設計したハンス・べーテ博士は環境を決定的に汚染するとして核実験反対を指導しましたが、ダイソンは水爆の父テラー博士らとともに核実験推進の旗振り役になりました。このあたりでノーベル賞との相性は決定的に崩れたと思います。

 核軍拡推進論のリーダーと目されたダイソン氏は、米軍サイドから顧問に迎えられ、ベトナム戦争でも科学アドバイザーを務めます。もうこのあたりになると、いくら科学者として優れていても、ノーベル賞とは完全に無縁になってしまいます。

 ダイソン氏の著書によればベトナム戦争中、彼は軍事顧問として核使用に強く反対したそうです。しかしその代わりに使用された「枯葉剤」などの化学兵器が深刻な影響を与え、ダイソン氏や、素粒子の「クォークモデル」で知られるマレー・ゲルマン氏など、米軍の科学顧問団は、科学者集団から学生まで、国際的に猛烈な批難を浴びました。

 ダイソン氏は後に大きく考えを変え、途上国からの核流出によるテロリズムの脅威に警鐘を鳴らすなど、ダイソン氏なりの真摯な行動を取ったことが著書からは知れます。しかしアドルフ・ヒトラーとナチス・ドイツのロンドン空襲を経験したダイソン氏は、決して非暴力主義を取りません。彼は専守防衛の軍事科学者という信念を貫いています。ちなみにナチス・ドイツの犯罪に協力した科学者も、いっさいノーベル賞からは退けられています。

人類持続発展の旗手としての科学者

 ダイソン氏は80歳を過ぎた2005年にも「宇宙開発の継続」を訴える声明を出し、科学界は「ああ、ダイソンはあのままで、まだ健在」という印象を受けました。

 ダイソン氏は間違いなく何度も、いや何十回かもしれませんが、最終選考までノーベル賞の候補に挙がっているはずです。彼の生徒にもノーベル賞受賞者は少なくありません。でもこの半世紀、ついぞ受賞することはありませんでした。財団は毎年、授賞理由のシナリオを工夫しますが、今さらダイソン氏にどんな理由をつけても、賞を出すことはできなさそうに思います。

 ダイソン氏のケースは、ハト派に転向したオッペンハイマー氏とも、タカ派を貫いたテラー氏ともやや異なっています。というのも彼の姿勢は、各国政府が現実に採用している戦略とあまりに一致し過ぎているのです。その意味で彼は物分かりのよい科学顧問で、軍に出かけていって現実的な軍縮や核自粛を説き、武装平和路線なども指導します。

 こんなダイソン氏は、人類が目指す理想を指し示すべきノーベル賞の方針と合致しないのです。彼の軍事施策はあまりに現実的過ぎて、平和の理想として旗印の役割を果たさないのです。一方でダイソン氏は惑星間規模でのエネルギー問題解決など、壮大な科学構想を発表したりもするのですが、これはこれで現実と開き過ぎて、やはり理想になりません。

 これ以外にも、例えば車椅子の宇宙物理学者として有名なスティーヴン・ホーキング氏などもノーベル賞とは無縁だと思います。彼は理論家ですが、彼の業績は実験的な検証が困難なために、やはりノーベル賞の方針と合わないのです。

 ダイソン氏からオッペンハイマー、テラー、ホーキングまで、理由は様々ですが、ノーベル賞が必ずしも「純粋な科学的業績」だけで選ばれているわけでないのは厳然たる事実です。これは大切なノーベル賞の個性でもあります。「平和」から「実験的検証」まで、大黒柱の理念を失えば、ノーベル賞のオリジナリティーは無くなってしまいます。

 私が前回のように「文民統制」の問題などを「憲法一般」(特定の憲法によらない国権のレギュレーション)から強調するのは、こうした「ノーベル賞の個性」サイドの本音を聞いていて、「基礎科学」から「国際経済」を名実ともにリードし、「平和憲法」を擁する「非西欧」唯一の第1等先進国である日本に、各国から具体的なリクエストを求められてきたからでもあります。

ノーベル賞ブランドが日本に寄せる期待

 「平和」「人類の共存」から「実証性」まで、20世紀の100年をかけて「ノーベル賞」が作ってきた「ブランド」は、ちょうど100年目の 2000年から、日本を「ほぼ毎年ノーベル賞を出す国」に仲間入りさせてくれました。もちろんそこには狙いがあり、さらに希望、期待が込められています

 その、日本に寄せられている「期待」とは何でしょうか。結論を先に書くならば、それは様々な「非対称性」を克服する、結節点としての役割に他なりません。21世紀に入ってからの10年は、私が大学に勤務するようになってからの時間とちょうど重なりますが、その間、大学の代表として国際的な研究大学連合会議などに派遣されるたび、各国から常に求められてきた「日本へのリクエスト」について、次回以降、具体的にご説明したいと思います。

(つづく)
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    膳所の某所山奥に在住の好色酒好き秘湯ヲタの絶倫狒々(冷凍力)が戯言を宣います。キーワードは是々非々(部分否定・部分肯定/全否定・全肯定)。
    別荘は西九州。
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