渡辺恒雄
「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである」 今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。・・・もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の『読売新聞』の力でそれを倒す。

膳所狒々新報

寒々冷え冷えとしたニュースコメントブログ:旧名「冷凍力の膳所狒々日記3」

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資料 韓国 歴史観

【日中韓】「歪曲を超え、東北アジア共同歴史観を」発足1周年を迎える韓国の東北アジア歴史財団理事長[09/15]
1 :力士 ◆RiKiCQzWKY @力士庶Oφ ★:2007/09/15(土) 11:35:49 ID:???
★発足1周年を迎える韓国の東北アジア歴史財団・金ヨンドク理事長

発足一周年を二週間前に控え、東北アジア歴史財団の金ヨンドク理事長は「歴史歪曲(わいきょく)問題を
超え、東北アジア共同歴史観を築きたい」と同財団の役割について語った。東北アジア歴史財団は、中国
の「東北工程」や日本の過去の歴史観に対し、体系的に対応するために発足。当初の目的は、韓中日共同
の正しい歴史観を確立することだった。

金理事長はこのため、世界の学者や市民がオン・オフライン上で自由に学術成果を共有できる「東北アジア
歴史資料センター」を構築し「韓中日歴史共同研究委員会」(仮称)を設けた。

同氏は、「周辺国の歴史観のズレに対し、断固たる対応を望む国民の期待をよく知っている」としながら、
「歴史問題は興奮しても良いことがなく、冷静に対処しなければならない」と強調。感情的に対処すれば、
東北アジアの摩擦の調整・解消のためのシンクタンクを志向する同財団に対する国際社会の信用度が
落ちるのはもちろん、中国や日本との対話の門を閉ざし、さらなる誤解を招いて結果的に真実とは異なる
方向に向かうからだ。

同氏は、“共通の歴史観”は何が真実で何が誤りなのかを判断してくれると信じている。また、国際ネット
ワークは、誤った歴史観を持つ国を効果的に制御してくれるというのが同氏の持論だ。

同氏は「研究支援や国際学術会議などの内容を分析したり、論理の開発に邁進(まいしん)したほか、
海外写真展や英語版ハンドブック・ドキュメンタリーの製作などを通した海外ネットワーク構築にも努めた」
とし、この一年の成果を評価した。

金理事長は「今後も国際市民団体との交流を図り、財団の国際的地位を高め、われわれの歴史主権を
守るのはもちろん、東北アジアの平和と繁栄に努めたい」と強調した。

同財団は九月十-十六日を「東北アジア歴史週間」とし、世界二十カ国の学者や歴史関連市民団体
百二十人余が参加する「歴史NGO(非政府組織)世界大会」を開催する。

(本紙掲載:9月14日)
(世界日報 2007年9月15日)
http://www.worldtimes.co.jp/w/korea/korea2/ps070914.html

(関連スレ)
【中韓】 中国、今度は「高句麗王陵」の歴史操作~高句麗歴代の王の王陵を特定[09/11]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1189779554/l50
【中国】歴史教科書が大改訂、「日中戦争を知らない子どもたち」誕生への懸念[09/04]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1188897729/l50
【韓国】 歴史配慮から作文まで「一石二鳥」~中学校で周辺国の歴史歪曲テーマに論述大会[09/06]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1189213815/l50
■「歴史的事実とは異なる可能性があります」 … 歴史ドラマに警告文を

歴史ドラマに警告文を入れよう。最近の歴史ドラマブームの一方で、歴史歪曲問題も絶えず批判の種になっている。実はこの歴史歪曲批判は、歴史ドラマを作る際に不可避的に生じる根本的な問題だ。

これまでは、ドラマ的楽しさのための脚色がそれほど悪いものだという考えは無かった。歴史ドラマも「ドラマ」であり、ドラマは楽しみのために見るものであって歴史を勉強するために歴史ドラマを見るわけではない、というわけだ。もし歴史ドラマを見て、その時代の歴史に関心や疑問が生じたら、本や資料を捜して実際の歴史はどのように展開されたのか調べればよい。誰かが「歴史歪曲だ」と騒いでも、「ドラマはドラマ、歴史は歴史だ。どうしてそんな過剰反応するのか?」と笑って済ますことができた。

しかし、学校で歴史教育の比重がますます減る一方で、インターネットでは「ファン・パ」(桓檀古記の盲目的信者)らが幅を利かせている。こうした中で、インターネットで少し検索するだけで分かるような事実を平然と歪曲したファンタジー歴史ドラマを公共放送が放映し、それを史実だと信じる情けない人々が満ち溢れているのと見ると、いつのまにか「これではいけない」という考えが後頭部を強打した。

このように考えるうち、ふと日本アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」に考えが及んだ。ハルヒが映画を撮るエピソードである第二巻『涼宮ハルヒの溜息』で、ハルヒの妄想が現実になるのを阻むために、キョンはハルヒに言って、映画に次のような警告文を挿入させた。
「この物語はフィクションであり、実在する人物、団体、事件、その他の固有名詞や現象などとは何の関係もありません。嘘っぱちです。どっかで似ていたとしてもそれはたまたま偶然です。他人のそら似です。」

まさにこれだ。完璧な模範答案が目の前にあったのだ。歴史ドラマも始める前と終わった後に警告文を挿入することを義務付けるのだ。「この物語はフィクションであり、実存する歴史的人物、団体、事件、その他の固有名詞や現象などとは何の関係もありません。嘘っぱちです。歴史的人物や事件とどっかで似ていたとしてもそれはたまたま偶然す。他人のそら似です。」

最後に次のような文章を付け加えれば完璧だ、「もし視聴者の皆さんが、×××(歴史ドラマ名または歴史ドラマの主人公)に関する真実が知りたければ、今すぐ図書館や書店に駆け付けて歴史書を捜してみてください。」

どうであろうか。将来を担う世代が歴史歪曲の泥沼に飲み込まれるという不祥事を阻止するためなのだから、放送局は少なくともこれぐらいはすべきではないか? 彼らが視聴率のために良心まで売り渡していなければ、の話だが。

http://sports.khan.co.kr/news/sk_index.html?cat=view&art_id=200710122158353&

ソウル大教授「日本による収奪論は作られた神話」

 日本による植民地時代に韓国が土地と食糧を収奪されたという韓国史教科書の著述は歪曲されたものだという
主張が提起されている。
 韓日問題を論じるシンポジウムでソウル大学の李栄薫(イ・ヨンフン)教授が発表した内容だが、李教授は過去の
「従軍慰安婦は売春業」発言に続き、再び論争を呼び起こしている。
 「1910年に日本は大韓帝国を強制的に併合した」
 「日本は韓国が植民地だった35年間に、韓国の土地の40%以上を収奪し、膨大な米を略奪していった」
 これらが韓国が独立後、40年以上にわたり中学・高校の国史教科書に記載されている内容だ。
 しかしソウル大学経済学科の李栄薫(イ・ヨンフン)教授はこうした収奪論が歪曲された神話だと主張した。
 収奪という表現は太平洋戦争末期を除き、被害意識から出てきた言葉だと李教授は話している。
 以下はYTNによるインタビュー。
 李教授「日帝(日本帝国主義)が韓国の米を供出、強制徴収したとされているが、実際には両国の
米市場が統合されたことにより、経済的『輸出』の結果だった」
 客観的数値で見ても、奪われた土地は10%に過ぎなかったと説明している。李教授は韓国の歪曲された
教科書で学んだせいか、反日感情の根がかなり深くなっていると話した。
 李教授「私たちが植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、
教育されたものだ」
 こうした主張について市民団体は植民地状況自体が不法であるという点を見過ごしていると反発している。
 李教授「植民地時期全体を見れば、労働力搾取だとか、状況が・・・その中に不法もあり、そうでなかった
場合もあり、様々な次元があるため・・・こうした状況を通称し収奪と表現するのでしょう」
 李教授の主張がメディアを通じ知れ渡るとインターネットの各掲示板でも熱い討論が展開された。植民地
史観の先兵と変わりがないと非難する書き込みが殺到した。
 一方で李教授の理論にも一理あるとし、教科書を客観的に見るべきという声も少なくなかった。
 李教授は2か月前にテレビの討論番組で従軍慰安婦を売春業と関連付けた発言を行い、物議を醸した人物だ。
 日本による収奪論を否定する李教授の発言は、韓国で新たな熱い論争を巻き起こしている。
(p)ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/11/20/20041120000000.html

89 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2007/11/05(月) 20:16:47 ID:AVDeE8XD
関川:先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。

古田:日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。
    日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、
    「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。
    ‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、
    再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関川:歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。
    事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥

古田:民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。
    当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。

櫻井:それは韓国の大学の歴史研究者ですか。

古田:イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。
    李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。
    実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なんです。この思想が突出したものが、
    北朝鮮の主体思想にほかなりません。

櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」 (文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69~70頁)

↑「韓国に愛情はないのかーっ!」の話をしてくれた古田先生の本ね。
普通に本当のことを話しても、反日左巻きから安易に保守陣営と見られるのは不本意だろうけど。

戦争犯罪の過去とどう向きあう独・日・韓の研究者交流

自国がおこなってきた戦争犯罪や侵略、植民地支配などの過去とどう向き合い、克服していくのか―をテーマに十六、十七の両日、東京都内で「想起の文化と政策」シンポジウムが開催されました。東京ドイツ文化センターが主催したもの。ドイツ、日本、韓国の歴史研究者が参加しドイツと東アジアの比較など、熱心に議論を交わしました。

 「想起(エリンナルング)」はドイツ語で過去を記憶、想起することで、ナチスや旧日本軍の戦争犯罪に向き合い、伝えていくことを意味しています。

 ドイツのイエナ大学のノルベルト・フライ氏は、ドイツの「過去の克服」も一朝一夕ではなく長い時間とたたかいが必要だったと述べました。第二次大戦直後や一九五〇年代には、ナチス犯罪人を恩赦したり、戦争犯罪をすべてナチスの責任にしてナチス政権下のドイツ軍の戦争犯罪を免除したりする流れが強かったと指摘。六〇年代に青年たちが親の世代の「まだ生き続けているナチス」とぶつかる中で、ナチスの犯罪を堂々と批判したことを振り返りました。

 一方で、今日も「ナチスにもいいところがあった」とする意見や連合軍による空爆などドイツ人の戦争被害を主張してナチス被害を相対化しようとする動きがあることを「批判的にナチスの過去と取り組む態度が頂点を過ぎ、下り坂になっている」と警告しました。

 韓国・高麗大学のハン・ウンスク氏は、ドイツでも強制収容所の慰安婦問題を最近まで軽視する事例があるなど、ドイツの「過去との取り組み」を理想化することはできないと表明。一方、韓日間では、日本の植民地支配という深い溝があり、植民地支配が朝鮮分断を招き、今日の南北の冷戦状態につながっているということを日本人はわかっていないと指摘しました。同氏は「植民地支配を日本が深く理解し克服することなしに、歴史的和解は考えられない」と語りました。

 大阪経済法科大学の内海愛子氏は、日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判では朝鮮、台湾などの植民地支配については責任を問われなかったという問題を指摘。東京裁判によってA級戦犯となった人物もその後の日本政府の政策で「戦犯は国内的犯罪者ではない」とされるなど戦争当時の指導者の復権がはかられたと述べました。

 また、日本は韓国などとも経済協力方式で国交を回復し、侵略・占領の過去をあいまいにしたまま決着をしてきたと言明。現在、九〇年代から相次いだ韓国人や中国人の戦後補償裁判が過去の日本の侵略戦争と向き合い、問い直す場になっていると語りました。

 シンポでは、加害者側にも被害者側にも戦争体験者が少なくなっていく今、どう教訓を若い世代に伝えていくかについても議論が交わされました。(片岡正明)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-11-21/2007112106_01_0.html

関川: ‥‥先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは
説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。

古田: 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。‥‥
日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、
韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」
と、怒鳴る。‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、
「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者として
の良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関川: 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。
事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」
を優先させるようですから。‥‥

古田: 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、
それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。
当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、
誤読がいっぱい出てくる。

櫻井: それは韓国の大学の歴史研究者ですか。

古田: イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、
思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、
みなこれですから。要するに「自分が正しい」というところ
からすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という
命題が実証不可能なんです。この思想が突出したものが、
北朝鮮の主体思想にほかなりません。

櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」



1 :蚯蚓φ ★:2007/12/01(土) 10:17:53 ID:???

朴露子(パク・ノジャ)オスロ国立大教授・韓国学

他の国の民族主義議論でもたまに見られることだが、韓国民族主義は一つの論理的矛盾を抱えている。
一方では私たちが常に平和な民族であるといい、この主張に反する歴史的部分を記憶から無くしてし
まう。アメリカのベトナム侵略に参加した事実は単純に派兵に加工され、1107~08年に数千名の女真
族を殺傷してその生活基盤を奪ったユンガンの女真地域征服は、やはり侵略ではなく征伐と呼ばれる。
「善良な私たち」が人を「侵略」したということは民族主義的修辞法と言われかねない話だ。
一方では、韓半島(朝鮮半島)古代の国々が韓半島よりもっと広範囲の領土を占めたというのが民族
主義者たちの自慢の種だ。

○ 親日派も叫んだ‘満州回復’
韓国国史教科書でも高句麗の満州支配や古朝鮮のヨリョン地域支配が強調されるが、在野民族主義者
たちは過去の満州支配を最初から現在型で解釈しようとする。今は見られないが1992年韓-中修交と中
国観光の開始とともに太極旗をかかげ、車に『故土 恢復』と同じ内容の垂れ幕たちをかけたまま高句
麗・渤海遺跡を踏査する団体がたくさん登場した。

このような挑発的行為は、後に悪名高い東北工程につながった中国官僚たちの神経症的反応を催した。
もちろん彼らは少数だったが「満州は私たちの地」という意識が意外に極端なナショナリズムと関係
ない一般人の間でも広く広がっているのだ。「平和的だが昔から広大な領土と強力な大軍を誇示して
来た我が民族」という、事実上非常に自家撞着的な談論が形成されたことは開化期だった。崩れて行
く国権をまた立てようとした当時の民族主義者たちは「私たちが満州を占めた時」に対する記憶に訴
えて昔の剛性を取り戻そうと絶叫した。
(中略、内容は>>2-5のあたり)

○ 遼西は山戎と孤竹が支配
(中略)
○ 中央集権的国家ではなかった
(中略)
歴史に対する反逆と同時に暴力で崩れて行く大韓帝国で、シン・チェホが「満州まで支配する力強い
我が国」を夢見たことは理解できるが、日帝末期の「満州熱」が日帝の大陸侵略に対する協力と満州
「原住民」に対する蔑視を前提にしたという点、今日の談論が中国の低賃金労動力と市場によだれを
垂らす資本家たちの北方膨脹意識を反映するという点等を念頭に留めおかなければならない。

そして古朝鮮をまるで満州を領土として支配した巨大な帝国と想像することこそ、よく使う言葉で
「歴史歪曲」という点も忘れてはいけない。秦開侵略以前の古朝鮮の歴史は遼東、さらには満州史の
一部分ではあっても、‘領土支配’のような後代的発想を上古史に投映することは、歴史に対する反
逆と同時に暴力にすぎない。

ソース:ハンギョレ21(韓国語)古朝鮮が満州を支配したと?
http://www.hani.co.kr/section-021163000/2007/11/021163000200711220686026.html


2 :蚯蚓φ ★:2007/12/01(土) 10:18:07 ID:???
>>1の中略部分
申采浩(シン・チェホ、1880~1936)は名著である<読史新論>(1908)で古朝鮮を立てた檀君という征服
者が今日の瀋陽と遼東の領土をあまねく平定したお陰で満州が「我が民族のメッカになった」と主張
した。彼は‘朝鮮系統’の国家として満州を最後に領有した渤海の亡国を何より悔しい事と思い、渤
海史を<三国史記>に載せなかった金富軾(キム・ブシク)を大罪人に扱った。同じ年に彼は「韓国と
満州」という論説を<大韓毎日新報>に載せて「韓民族が満州を得れば、韓民族が繁栄し、他の民族が
満州を得れば韓民族が衰える」と言う‘歴史の法則’を明らかにした。この論理によれば当時の亡国
的状況の根源的理由は、満州回復に失敗した高麗王朝の無能と満州に無関心だった朝鮮王朝の文弱だった。

大韓帝国の国権が揺らぐ状況で‘満州経営’まで口にすることは現実逃避に見えるが、そこにも自分
なりの論理が貫徹されている。過去に我が民族が満州まで持つほどに強大だったら今後もいつか満州
を取り戻して中国、日本と肩を並べる列強になれるという準帝国主義的希望の論理だった。この希望
は開化期や日帝時代の申采浩や朴殷植(パク・ウンシク、1859~1925)のような抗日闘士たちだけあっ
たのではない。

日帝との‘協力’を選択した崔南善(チェ・ナムソン、1890~1957)のような‘文化民族主義者’も、
<朝鮮歴史強化>(1930)では檀君時代の朝鮮を「大同江流域、クウォル山一帯の小さな国」と描いたが、
‘光の崇拜’など‘古代韓国の宗教’が満州と日本などを含む北東アジア文化圏の中心、と見るなど
満州と朝鮮の関係設定に注意を傾けた。崔南善が1938年に満州に渡って傀儡満洲国建国大学の御用教
授になったことを解放以後に「先祖の地を踏査した」と弁解したことはおかしな事だが、そのような
親日派が「日本民族と一緒になった朝鮮民族が、満州を活動の舞台にしなければならない」と言う考
えを持ったことは明らかだ。日帝に降伏したことを対価に得る『故土 恢復』とでもしようか?


朝鮮通信使に関連した扶桑社の教科書の記述は2001年版と2005年版で大きな差はない。それでも歪曲
した事実が改善したのではない。正確に言えば、歪曲されたというよりは必要な記述を抜け落ちさせ
ているというのが正しい。

上で記述された朝鮮通信使や倭館は、徳川幕府が日本国内での地位を強固にして経済的な問題を解決
すると同時に、先進文明を収容するために対馬島島主を通じて絶えることなしに要請した結果、成り
立ったのだった。

それにもかかわらず、そういう朝鮮との国交再開に関する背景説明は全く記述されなかった。先に朝
鮮通信使の場合、派遣目的と招聘理由に関する説明が抜け落ちている。扶桑社の教科書だけではなく
他の出版社の教科書でも大部分、朝鮮通信使によって朝鮮の先進学問と技術の伝授を受けたという内
容は捜してみることができない。主に両国の間の交流を強調しているだけだ。

また朝鮮通信使は厳然と徳川幕府で将軍が変わる度に、その権威を認められるための日本の要請によ
って派遣されたにもかかわらず、そういう説明には言及していない。単純に定期的に来る祝賀使節だ
ったと記録している。おもしろいのは、むしろこのような事実を隠蔽しようとするように「対等な関
係を結んで」という部分の記述が含まれている点だ。

古代から19世紀後半まで教科書の記述を通じて日本が韓国より先進国だった、ということを出そうと
する日本がこの部分では敢えて‘対等な’という表現を使っている理由を知りたい。朝鮮通信使は、
1607年から1811年まで合計12回にわたって派遣され、その規模も400人余り内外だった。朝鮮通信使の
行列を描いた絵を見たことがあったらその規模に驚くはずであり、彼らがいただいたもてなしも国賓
に近かったと見当をつけることができるだろう。

倭館と関わる記述ではその設置過程であった日本の努力や朝鮮の悩みなどに関する内容がなく、何の
困難もなしに設置されたように見える。しかし、常識的でも7年間の戦争を経験した朝鮮が、わずか20
余年後にまた倭館の設置を許容するのに、何らの葛藤も難しさがなかったのか?たぶん、倭館設置2年
前に使命団を派遣して壬辰の乱(文禄の役)の時の捕虜7,000余人を連れて来たことを見れば、罪のな
い捕虜を帰すために倭館の設置を始まりに国交再開を承諾したと見られる。
(後略=朝鮮通信使の説明)

パク・スンリョル LC教育代表
http://news.chosun.com/site/data/img_dir/2007/12/05/2007120501169_0.jpg

ソース:朝鮮日報(韓国語)事実を抜け落ちさせる日本教科書
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2007/12/05/2007120501213.html

関連スレ:【日韓】朝鮮通信使、日本に文化的衝撃与えた韓流の始まり ★2[4/13]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1176466522/
【歴史】江戸時代の朝鮮人気は高く、通信使一行をを百万群集が見物、通信使から書き付けをもらう
と大喜びだった★4[12/01]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1196524483/

前スレ:http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1197157319/
★1の立った時間:2007/12/08(土) 23:18:10


思想の根源に横たわる蔑視観

 司馬遼太郎が朝鮮に関するものを素材として、最初に書いた小説が「故郷忘じがたく候」である。
この作品には、豊臣秀吉の朝鮮侵略・壬辰倭乱(日本では文禄・慶長の役)の際に、拉致して
こられた陶工のその後が描かれている。司馬自身、愛着があると記しており、彼の朝鮮や李朝陶磁
に対する思いのたけは、この作品に余すところなく描かれている。
 私が司馬の書いたものを読んだのは、たまたまこれがはじめてであったから、司馬という作家は
朝鮮への愛が強い人なのだと、そのときは思った。
 すでに世間ではそのように評価されていたらしく、司馬自身も、朝鮮に対するよき理解者であり、
かの国の民衆の友人であると自負していたと思われ、「街道をゆく二」(朝日新聞社)に、私の朝鮮
への関心のつよさは、私がうまれて住んでいる町が大阪であるということに多少の関係があるかも
しれない-と書いている。
 さて、「故郷忘じがたく候」と「坂の上の雲」の間にある司馬の朝鮮観にはなはだしい隔たりがあると
言われていて、確かにそのとおりであるが、「坂の上の雲」は1968年の4月からサンケイ新聞紙上に
連載を開始しており、不思議なことに「故郷忘じがたく候」も同じ年の6月に発表されている。司馬は
「坂の上の雲」執筆のために、国内外から膨大な資料を蒐集して、読破し構想を練るのに5年を
費やしたと言われるから、「坂の上の雲」の朝鮮観は、このときすでにでき上がっていたと言っていい。
 司馬が「坂の上の雲」で、日露戦争を自衛戦争あるいは祖国防衛戦争と表現して、正当化したことは
広く知られている。しかしながら、日露戦争が日清戦争とともに朝鮮への侵略戦争であることもまた
自明のことであってみれば、司馬は日清・日露戦争を賛美し、日本の帝国主義的成長を称えたと
非難されても、なんの反論もできないであろう。自衛と言おうと祖国防衛と書こうと戦争に違いはなく、
良い戦争と悪い戦争があるという道理もない。
 いったい「坂の上の雲」と「故郷忘じがたく候」の間にあるずれは、なにに起因するものなのであろうか。
実は司馬は、「街道をゆく二」の中で、次のように驚くべきことを、すんなりと書いている。
 「それは暴虐なる日帝30余年の支配によるものです」
 と、韓国の知識人は例によって千枚透しの錐のようにするどい怨恨的発想の政治理論でもって
規定しきってしまうかもしれないが、日帝がいかに暴虐であろうとも-げんにそうだが-しかし長い
朝鮮史のなかでその期間はたかが30余年であるにすぎない。李朝五百年が、朝鮮の生産力と
朝鮮人の心を停滞せしめた影響力のほうがはるかに深刻なようにおもうのだが、しかし私の
知りうるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとにただ一人しか私はめぐりあっていない。
 この文に象徴される朝鮮への蔑視が、司馬の思想の根源にあって、それが「坂の上の雲」では、
日清・日露戦争を美化した、新興国日本の美しい物語となり、朝鮮侵略を隠ぺいしたと思われる。
だから、「故郷忘じがたく候」において、陶工の末裔である沈寿官が韓国の講演で、「36年を言うな」
と学生たちに語ったと、さも意味ありげに書いたのも理由のないことではない。
 朝鮮を併合という形で奪ってしまうという、愚劣なことが日露戦争ののちに起こるのである―と、
司馬遼太郎は、日清・日露戦争を美化した同じ筆で、きれいに口をぬぐったように書く。朝鮮半島の
友人の前で気が引けるのだ、と。しかも、そうでありながら同じ文のあとの所では、朝鮮を植民地と
したことが、「けっして儲かるものではないと思うのです」とさえ書いているのである(「『昭和』という
国家」)。
 このどうしようもない自己矛盾こそが、世に「司馬史観」と言われて、もてはやされているものの
実態である。
 「錦絵の中の朝鮮と中国」(岩波書店)で、著者の姜徳相氏は、つぎのように記している。
 「坂の上の雲」の面白さを否定するわけではないが、司馬であれ、誰であれ、どの作品でも他民族の
命運にかかわることは、かかわられた側がどう受容したのか、という視点があってもよいと思う。

ソース::朝鮮新報
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j1210-00005.htm

1 :Mimirφφ ★:2007/12/23(日) 17:55:21 ID:???
「京都に韓日関係の未来がある」(上)(下)
http://www.chosunonline.com/article/20071223000023
http://www.chosunonline.com/article/20071223000024

【新刊】鄭在貞(チョン・ジェジョン)著『京都で見た韓日通史』(ヒョヒョン出版) 

 昨年8月、釜山-下関姉妹都市締結30周年を記念して開催された「朝鮮通信使韓日文化交流大会」。
両国が過去の歴史についてしっかりとした認識を持つことができなければ、未来における共存はほど遠い、
と著者は主張する。/写真=朝鮮日報DB

 韓国の旅行会社のインターネットサイトで京都ツアーを調べてみた。金閣寺や清水寺などを見物し、
奈良など他の都市へと移動するパターンがほとんどだ。しかし京都というのはその程度の都市なのだろうか。

 なぜ京都は千年の都と呼ばれているのか。それは実際に、1000年以上天皇が住んでいた日本の古都だからだ。
西暦794年に桓武天皇がこの地に都を定めた後、1869年に明治天皇が東京へと移り住んだことから、その言葉は
決して誇張されたものではない。

 もちろん権力の実質的な中心という観点からみれば、一時幕府が置かれた鎌倉や江戸も都のようなものと
言えるだろうが、やはり京都には及ばないだろう。この本は次のように説明する。「今も京都市内には2000以上の
寺や神社が存在し、規模も大きく雄大な雰囲気を醸し出し、見る者を圧倒させている。金閣寺と清水寺はそれらの
ごく一部に過ぎない。京都には至るところに世界文化遺産がある」

 著者はソウル市立大学韓国史学科の教授であり、人文学部長でもある。また韓日歴史共同研究委員会にも
参加し、韓国と日本の歴史対話の先頭に立っている学者だ。2005年から1年間、京都で研究する機会を得た
ことから、改めて衝撃を受けたという。「この都市の隅々にこのように韓日関係の歴史の現場が残っているとは…」。
数千年にわたり、両国の関係が「千年古都」に深く刻まれているのは当然といえば当然だが、実際にその地を
訪れる韓国人はそう多くはなかった。それがこの本を執筆した動機となった。京都で見た遺跡などを紹介し、
古代から20世紀までの韓日関係史を通史の形で書き下ろしたのが、まさにこの本だ。

 京都で最も古い寺とされる広隆寺には、韓国の国立中央博物館にある弥勒菩薩半跏思惟像とあまりにもよく
似た日本の代表的な国宝「弥勒菩薩半跏思惟像」がある。清水寺を創建した人物は百済系の渡来人であり、
三井寺には新羅明神が安置されている。高山寺には元暁大師と義湘大師の逸話を描いた絵が所蔵されている。
すべてが古代の両国間の人的・文化的交流を立証するものだ。

>>2以降に続

2 :Mimirφφ ★:2007/12/23(日) 17:55:32 ID:???


 朝鮮に大きな災いとなった壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を引き起こした豊臣秀吉が主に活動していたのも京都だった。
秀吉が6年にわたり乱暴な方法で改造した都市も、また朝鮮侵略計画を企てて軍を出発させたのも京都だった。
京都では秀吉が花見を楽しんだ醍醐寺、壬辰倭乱で朝鮮人の耳や鼻を切り落として埋めた蛮行の証拠である
耳塚も残っている。著者の言葉を借りれば、正常な歴史教育を受けた韓国人ならば怒りと悲しみを抑えることが
できない場所だ。また椿寺では、倭軍が蔚山から盗んだ椿の木も見ることができる。

 倭乱後、両国はしばらく平和的な関係を維持した。京都の相国寺には、当時この地に立ち寄った朝鮮通信使が
残した素晴らしい揮毫(きごう)や絵画が数多く残っている。その中には園・申潤福(シン・ユンボク)の絵もある。
当時の京都は朝鮮人参や中国の絹、日本の銀が取り引きされていた交易の中心地でもあり、その事実は今や
小さな川となった運河、高瀬川が物語っている。

 19世紀に入ると、京都は日本を近代化と帝国主義的侵略の道へと導いた明治維新の主な舞台となった。
明治天皇が王政復古を宣言し、現在は市民公園となっている京都御所、武士たちが血で血を洗った池田屋、
維新のために犠牲となった武士たちを葬った京都霊山護国神社などもある。侵略先となった韓国の悲しい
歴史も京都に残っている。造成時には数十人の韓国人が労働者として動員され、その後もより多くの韓国人が
強制的に参拝させられた明治天皇の墓、三宅八幡宮に残る「韓国併合報告の碑」、韓国侵略の先頭に立った
山県有朋の別荘である無鄰庵、亡国後に純宗皇帝が滞在した長楽館。比叡山ケーブルカーには韓国人労働者
の血と汗が染みこんでおり、同志社大学の校庭には同校に留学していた鄭芝溶(チョン・ジヨン)と
尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩碑がある。

 著者はこのように語りかける。「着物と染色産業で有名な京都西陣では、今も1日に数回、きれいな
モデルたちが着物を着てファッションショーを行っている。京都を訪れる韓国人の中にもそれを目に
する人たちがいるだろう。しかしその美しい着物は、本来朝鮮の商人がもたらした中国産の生糸に
由来するということを知っているか。日本統治時代、韓国人労働者がこの地で重労働と低賃金に
苦しみながら布を織り、染色を行った事実を知っているのか」。両国がお互いに尊重し、共生するためには、
過去の歴史を正確に知らなければならない、とこの本は訴える。
遺跡を訪ねるためのガイドブックとしての情報が付録として掲載されていれば、さらに良かったのだが…。

1 名前:蚯蚓φ ★ 2007/12/26(水) 22:32:08 ID:???

http://img.khan.co.kr/newsmaker/755/755_92a.jpg

外勢の侵略後には人的・物的な「強制供出」があるものと決まっている。侵略勢力は、戦争物資を確
保するために侵略地の資源を強制的に集めて行くだけでなく、善良な人々さえ強制的に動員して足り
ない労動力にあてる。物資供出よりもっと痛いのが人間の供出だ。強制動員された人々は一瞬にして
奴隷に転落し、あらゆる虐待と蔑視を受けて惨めな一生を暮らさなければならない。

日帝時代は勿論、高麗の時の元国に支配された時もそうだったし、壬辰の乱の時も同じだった。特に
丙子胡乱(へいしこらん、1636年-1637年に清が李氏朝鮮に侵入し、李氏朝鮮を制圧した戦い)の時だ
けはこの部分がよく知られていない。酷寒の冬、仁祖が漢江の渡り場、三田渡で清の太宗に屈辱的に
降伏した事実は分かっても、当時、朝鮮の幾多の人々が清に奴隷として連れて行かれた事実を知る人
は多くない。「朝鮮人60万奴隷になる」は、まさにこの点を明らかにした本だ。

本の題名でもう気づいたと思うが、丙子胡乱当時、朝鮮人60万人が清に連れて行かれた。当時、朝鮮
の人口がおよそ1000万人だったことを思えば60万人はかなりの数だ。彼らは清の宣揚の奴隷市場で売
られて行った。彼らは清が他とした戦争に兵隊として動員され、農業と工事に不足した労動力を補充
した。暴行されることは常だったし、婦女子たちは随時にレイプされた。

昭顕世子と弟の鳳林大君も人質につかまって行った。二人の王子の生活が悲惨であったから、まして
奴隷に連れて行かれた一般民の暮らしはいかばかりであったろうか。著者はこの本で清に連れて行か
れた朝鮮民の惨めな境遇と生活をいきいきと再現した。同時に昭顕世子と弟の鳳林大君の生活からも
目をそむけなかった。

著者は少々独特なやり方でこの本を構成した。丙子胡乱以後、朝鮮人の拿捕史を扱ったが統計資料と
歴史的史料などを証拠物を提示する論文のようには叙述しなかった。まるで一篇の歴史小説のように
話を構成して行ったのだ。躍動感と楽しさを与えるための意図が見える。この独特の構成の核心には
著者が創造した二人の架空人物であるキム・ブンナムとキル・ヤンボクがある。彼らはもちろん歴史
に登場しない。著者は当時の朝鮮民の境遇を明らかにするために、この二名の架空人物を作り、人々
の先に立たせて話を導いて行く。著者は自ら「新しいジャンルである‘史実小説’と見てくれたら良
い」と言う。(中略)

この本は見逃してきた我々の歴史に新しく照明をあてた、と言うことに意義がある。たとえそれが骨
身にしみるとしても、無視して葬るにはあまりにも大きな事件だった。

ソース:ニュースメーカー755号(韓国語)歴史小説で構えた丙子胡乱、その後
http://newsmaker.khan.co.kr/khnm.html?mode=view&code=116&artid=16354&pdate=

1 名前:薔薇おばはんφ ★ 2007/12/26(水) 17:24:14 ID:??? PLT(12072)

【写真】
ttp://file.chosunonline.com//article/2007/12/26/104407682857345115.jpg

 「もしや歴史学という学問自体が政治に隷属しているのか、と憂慮される状況です。今の韓国の歴史学界は、
歴史観(歴史を把握し解釈する根本的な観点)を選択するに当たり、政治的イデオロギーにあまりにも左右され
過ぎています」

 成均館大哲学科の李漢亀(イ・ハング)教授(元韓国哲学会会長)は24日、インタビューで、韓国歴史学界を
正面から批判した。教授は最近、1冊の研究書を出した。自身が専攻する歴史哲学の分野に新たな論点を提示
した『歴史学の哲学』(民音社)だ。600ページを超える同書の執筆に、李教授は3年を要した。

 同書で李教授は現在韓国内外の歴史学界で一世を風靡(ふうび)している「相対主義歴史学」に反論を試み
ている。「歴史の客観性」に懐疑的な相対主義歴史学の例としては、「あらゆる歴史は現在の歴史」という現在主
義や、「歴史は必要に応じて書かれる」という実用主義が挙げられる。しかし、脱近代主義的なこの観点で可能と
なるのは、体系的な歴史叙述ではなく断片的な資料の集積だけだという。

 李教授の観点は、カール・ポパーに始まる批判的合理主義を継承するものだ。教授が見るに、相対主義的観点
は、歴史を「つくられた話」と見なす反実在論だ。しかし、物理学には客観性があるものの歴史学には客観性がない、
というのは果たして妥当な見方だろうか。歴史観を帯びていても歴史を客観的に叙述することは可能であり、そうし
なければならない、と李教授は主張する。「歴史観なき歴史叙述は盲目であり、客観的歴史叙述なき歴史観は
空虚だ」というわけだ。

 そのためには、歴史観を科学探求における核心的な仮説のように見なす必要がある。複雑多岐な歴史の世界
を解釈する際に、果たしてどの歴史観が最も体系的で、一貫した説明が可能なのかについて、絶えず批判し、比
較し、進んで新しい歴史観を創造することによって客観的歴史叙述に近づいていくことができると言う。「正確な地
図を描くことは難しいからといって、地図を好き放題に描けば、それはもはや、地図ではなく芸術作品にほかならない」
と李教授は語る。

 現在の韓国歴史学界は、「歴史観」というものを正しく理解していないと李教授は主張する。「あたかも政治的
理念のように、歴史家が心の中で選択するものだろうと思っています。しかるに、批判的な検討なく歴史観の図式
を盲目的に当てはめるならば、虚構の歴史をつくり出してしまう可能性が高いのです」。マルクスの唯物史観とヘル
ダーの民族史観は、いずれも近代西ヨーロッパに端を発するものだが、対話と批判を拒否し、韓国国史にそのまま
適用しようとしている、というわけだ。中国・日本との「歴史戦争」もまた、学問を超えた次元から介入がなされれば、
学問ではなく政治的闘争となるだけだ。史実の尊重を欠いた脱近代主義歴史学ではなく、客観主義歴史学で問
題に接近しなければ解決することはできない、と主張している。

ソース:朝鮮日報
ttp://www.chosunonline.com/article/20071226000065

 国際会議は、3日夕に、「真実と和解学会理事長」安秉教授の基調報告で始まった。安教授は、ドイツや南アフリカの例をあげながら、韓国における国家犯罪の真相究明・補償・名誉回復・加害者の処罰・和解がどのように進められ、どのような困難があるかをていねいに説明し、私は深い感銘を受けた。私は4日午前に行われたパネル討論に出席した。「記憶を超えて和解へ」と題したパネル討論は、実に意義と意味の深い討論だった。私は、済州島虐殺に対する日本と米国の責任を要旨次のように述べた。

 (1)日本の植民地支配がなければ、朝鮮民族が戦争に巻き込まれることはなく、外国軍が来ることも、38度線での分断もありえなかったことを想起する。

 (2)日本の植民地支配は、45年8月15日の敗北で終わったと考えられがちだが、日本軍はマニラの米軍司令部の指示で38度線以南で9月8日(済州島では9月28日)まで支配を続け、その間にカイロ宣言を無視して民族独立運動を弾圧し、マニラの米軍司令部に38度線以南の民族独立運動とその活動家をすべて「アカ=共産主義者」だと伝えて偏見を植えつけた。

 (3)本来カイロ宣言を実行すべきであった米軍は、日本の支配を受け継いで支配者となり、李承晩傀儡政権を作るために、これに反対した済州島民の無差別虐殺を指示した。

 (4)日米両国は、こうした過去を省みて韓国政府同様に済州島民に謝罪すべきだ。

 こうして、60周年を契機に真相究明・謝罪・和解の過程がいま始まったのである。(伊藤成彦、中央大学名誉教授)

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/06/0806j0423-00002.htm

「青少年が歪曲された歴史評価を学んでいるということを思えば、おののかざるを得ない。」
先月27日ソウル大経済学科李栄薫(イ・ヨンフン)教授などが主軸になったニューライト系「教科書
フォーラム」が発行した「韓国近現代史-代案教科書」の出版記念会で朴槿惠(パク・クネ)議員が述
べた言葉だ。筆者はこの言葉をそっくりそのまま、パク議員と同書を発行した人々に返したい。

「大韓民国は血と汗と涙で歴史上類例のない成功を実現した。近現代史については、国民は正確に知
って自負心を持ち、これを土台に国民統合と結集を成さなければならない。それでこそ私たちが夢見
る先進国に行くことができる。」正しい言葉だ。まさにそのような正しい歴史教科書と歴史認識が重
要なのだ。

果してその眩しい大韓民国の成功が李承晩から朴正煕、全斗換、盧泰愚とつながる独裁者たちの力だ
けで成就したものだろうか?現行憲法前文によれば、このような成功は先烈たちの誇らしい自主独立
闘争と4・19、6・10民主抗争、5・18光州抗争などにつながった民主化闘争と福祉社会建設のために献
身して来た大衆の血の汗がにじむ努力の結果だ。歴代独裁者大統領の功績だけに帰するものではない。

この点で朴議員の歴史意識は憲法前文の精神と相反する。朴議員が糾弾した現行教科書は、憲法精神
に合致するか、教育政府によって厳正な検定を経ている。これら教科書に対する学問的論争はあり得
る。大韓民国樹立以後、成果については視点が異なることもあるだろう。

しかし、日帝の近代化政策で私たちの暮らしがよくなった、というニューライトの認識は身の毛もよ
だつ歴史歪曲だ。一例で日帝初期の「土地調査事業」が土地所有権を確立することで、近代化の基礎
を築いたという認識は、事実をはっきりと歪曲している。旧韓国末にも土地所有権を整備するための
制度的措置が進行していた。

また、日帝による土地調査事業は苛酷な小作制を確立し、大多数の小作農民たちに「草根木皮」「絶
糧農家」を強要し、人口のほぼ80%を占めた農村の貧困は、日帝が韓国で米を収奪していったことが原
因になった。その結果、日本人教授たちが発表した資料でも米の1人当りの消費量は1914~1919年と19
33~1938年の期間に27%も激減し、不足分を雑穀輸入で満たしたが、全体
糧穀消費量も約16.5%も激減した。

ニューライトの方は、日帝時期に経済が大きく成長したと強調する。しかし、当時の韓半島(朝鮮半
島)人口のほとんど80%を占めた農村の絶対的貧困にそっぽを向きながら、一部都市に近代文明を導入
して工場を立ちあげたという点だけで近代化を論証しようと考えるのは、日帝を美化するための調査
に過ぎない。

それなのに朴議員はこんな反民族的・親日的な認識をほめたたえて、憲法精神を拒否する教科書改編
要求を称揚鼓舞している。彼女の歴史観をめぐって「親日派として日本王のために死ぬことを誓った
日本帝国主義将校の後裔らしい歴史観」と批判すれば、どのように答えるだろうか?

チュ・ジョンファン(東国大名誉教授)

ソース:(韓国語)[コラム/時事評論] 憲法に反する‘朴槿恵(パク・クネ)歴史観’
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=200806061813445&code=990303

関連スレ:【日韓】訪日中の朴槿恵代表、「日本は加害者、韓国は被害者」[3/7]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1141749111/
【日韓】朴槿恵代表「日本が韓国の独島領有権を認めれば対立は解決」[03/09]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1141894382/

http://file.dailian.co.kr/kw_news/200806/kw_news1213923964_21566_1_m.jpg

米国の美術史学者ジョン・カーター・コベル(John Carter Covell, 1910~1996)は1941年「15世紀日
本の禅画家研究」でコロンビア大学の日本美術史博士号を受けた。彼は以後、京都の大徳寺で仏教美
術を研究し、ハワイ大学で東洋美術史を講義しながら代表的な日本美術史学者として活動した。

コベルはしかし、1978年から1985年までは韓国にとどまって韓国文化を探索して日本文化に対する影
響を明らかにする文を1000編以上書くようになる。ハワイ大学を定年退職するやいなや韓国に飛んで
来たのは、日本美術史を掘り下げれば掘り下げるほど韓国の影響が絶対的だ、という事実を悟ったか
らだと言う。

彼は「1930年代、奈良と京都で百済観音のような仏像と法隆寺の飛鳥仏教美術を見た時、20%は韓国か
ら直接入って来たとか、強い影響を受けたのだと思ったが、1980年代は韓国の影響が95%にのぼるとい
うことを確信するようになった。」と述懐したこともある。

「日本に残った韓国美術」(キム・ユギョン編訳)は、彼が韓国で多様なメディアに寄稿した文の一部
を編んだものだ。最近は、韓国文化が日本文化、特に日本の古代文化にこの上なく大きな影響を及ぼ
した、という話は古臭く感じられるほどありふれている。それでもこの本がおもしろいのは、日本の
多くの芸術品が事実上韓国のものながら、そうではないように過って知られている、というところに
焦点が合わせられているからだ。

韓国の文化財が日本にたくさんあるように、エジプトの文化財はロンドンに、日本の文化財はボスト
ンに多い。ところでエジプト文化財はエジプトの、日本文化財は日本のものと知られているが、日本
の韓国文化財は日本や中国のものと歪曲されている、というのだ。

コベルは特に1981年の状況ではあるが、「韓国のすべての博物館長は日本人で訓練受けた人々で、そ
のためか厳然たる事実を明らかにして波風を起こさないようにする。」と指摘した。このようだから、
誰にも借りのない若い学徒なら、立ち上がって韓国のものは韓国のものだ、と真実を明らかにし、古
臭い主張などを一笑に付してしまわなければならない、と声を高めた。

コベルの忠告によらずとも、我が学界が27年前とは違うように「一人立ち」しているか自問してみる事だ。

ソ・ドンチョル文化専門記者

ソース:(韓国語)韓国のは韓国のだと真実を明らかにしなさい
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20080620023003&spage=1

1985年7月、日本国で藤ノ木古墳を掘り出している途中また覆いました。発掘団が古墳をまた閉鎖する
わけを彼らは「空気をあまりにも多く当てれば、古墳が破壊される。」でした。しかし、彼らが言う
閉鎖理由は日本の高い発掘技術で見れば到底理解しにくいのです。

彼らが閉鎖する本当のわけを1996年に世を去ったジョン・カーター・コベルというアメリカ人美術史
学者は「その古墳で韓国式遺物が溢れ出ると、その古墳の持ち主が韓国人の子孫であることが明らか
になることを心配し、恐れたため」と言い切ります。

またコベルは「もし韓国が日本の植民地に転落しなかったら、日本の初代から25代にのぼる王様が韓
国人だと言うことが、日本人にもあまり苦しい事ではなかったはずだ。」と言います。アメリカ人学
者の言ったこの言葉を思えば、植民史観は本当に情けないのです。

ソース:デイリアン(韓国語)(文化コラム:259)日本奈良の古墳を掘り出して中断したわけ
http://www.dailian.co.kr/area/news/n_view.html?t_name=kw_news&kind=menu1_code&keys=1007&id=21566

関連スレ:【日韓】 扶余騎馬民族が日本を建てた?~日本は千三百年間歴史を歪曲捏造と米国学者★3[07/28]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1185634352/

前スレ:http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1213965407/

高松塚古墳壁画の惨状も知らずに何を;。また外人学者の都合の良い部分を編集してむちゃくちゃいうとるな。まず百済=韓国という証明を;。

(読者の声4)貴誌 通巻第2270号(7月31日発行)「東京・大陸育ちの戦後
派。」氏が(読者の声1)で池東旭氏の公開講座(18日)での発言の誤りの指摘
がありました。
私も、他の明確な事実の錯誤に気づきました。意見の違いは、本人の自由ですが
、誤ったことを事実として論を進めることは、問題です。
しかしこれは池氏自身の問題である以上に、池氏のような比較的客観的にものを
見られる方でも、韓国に住んでいては日韓関係に関して、韓国に遍満するあまり
にも多くの嘘情報の中で自然と信じ込まんでしまっていることの問題です。
たとえば講演の中で、大韓帝国皇帝の米国人顧問のスティーブンソン氏は、日本
人が韓国にあてがった顧問であり、日本に有利な助言ばかりした。そのため、顧
問を辞めてサンフランシスコに帰った後、二人の韓国人に殺されたといわれまし
たが、事実はかなり違います。
スティーブンソン氏は、帰米後サンフランシスコで発行されている新聞に大韓帝
国皇帝顧問であったときのことを書き、その中で、韓国政界の腐敗を厳しく指摘
したところ、その日の夕方、二人の韓国人が訪れ、その記事を訂正するように要
求しました。
スティーブンソン氏が断ったところ、その場で拳銃で撃ち殺されました。
このことを池先生に懇親会の席でお伝えしたところ、そうであったのかと納得さ
れていました。
韓国ではゆがめられたことが事実として教えられ信じ込まれているのでしょう。
確認はしていませんが、スティーブンソン氏は、真心を込めて韓国の改革に尽力
された方のようです。日本政府があてがい、日本政府の思惑で行動した人とは思
えません。
この点も捻じ曲げられて伝えられているようです。
また平成17年に韓国で韓国人の研究者が皇帝から日韓併合してくれるようを日
本国に依頼すべきかを下問された内閣の閣議の議事録が発見されました。これは
、日韓併合が韓国の側からの依頼(より正確には懇願)によるものであることの
確定的な証拠です。日本では小さくしか報道されませんでしたが、おそらく韓国
では一般人には全く知らされていないことであろうと推察いたしておりました。
懇親会で池氏にうかがったところ初耳とのことでした。やはり、極一部の研究者
の間だけでの秘め事になっているのでしょう。
1995年版の韓国の高校の国史の教科書を読んだところ、1922年から19
32年までの朝鮮での米の生産量と収奪量が表になっていて、日本政府は収奪を
目的として増産を韓国民に課し、増産された分がそっくりそのまま日本に収奪し
たように書かれていました。
第一次世界大戦が終了して徴兵されていた多くの農民が農業に復し、戦争中に増
大していた食料品の需要も低下し(戦争中には戦線までの運送中に多くの食料が
失われる)世界中で農産物の価格が下落し、スタインベックの「怒りの葡萄」の
世界が現出しました。
日本政府は朝鮮で米を収奪してどうしたのでしょうか。
農業不況に苦しむ朝鮮の農民を救うため、当時ソウルでの市場価格の倍であった
大阪堂島での米相場に3割の補助金をつけて、朝鮮の農民から米を日本政府が買
い上げたのです。これが、収奪の実態です。
また、1995年版では朝鮮総督府が朝鮮の土地の所有情況を調査して、40%
の土地を接収したとかかれていました。後の版では40%という数字は削除され
ましたが、接収したという記述は残りました。これもまたとんでもない嘘です。
こういった狂気の中に住みながら、池氏くらい冷めていることは、非常に難しい
と思います。
 ではそういう人たちとどう接するのか、これは日本人に課された課題です。
   (ST生、神奈川)
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)8月2日(土曜日)!)
通巻第2273号


筑波大学大学院教授・古田博司 増殖する韓国の「自尊史観」

≪「チャングム」のまやかし≫

 近頃、会合で話をすると10人に1人位は韓国時代劇チャングムのファンがいて、物語をそのまま史実だと思いこんでいることが多いので、正しておきたい。まず朝鮮の李朝では、女子が宮中に出仕すると王様と疑似婚姻関係に入るので一生外に出られない。チャングム女史のように出たり入ったりはできない。

 ドラマでは李朝時代は色彩にあふれているが、ほんとうは顔料がないので民間に色はない。中国の清朝でも日本の江戸時代でも陶磁器に赤絵があるが、朝鮮には白磁しかないのはそのためで、民衆の衣服が白なのも顔料が自給できないからである。民芸研究家による「朝鮮の白は悲哀の色」というのも、今では真っ赤なウソである。上流階級だけは中国で交易する御用商人から色のある布を買っていた。

 李朝は清朝や江戸時代と異なり、技術革新を嫌い、低レベルの実物経済で500年もの統治を可能にしたのであり、どこに似ているかといえば、いまの北朝鮮に似ている。19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国の拙(つたな)きところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東●『晝永編』)といっている。

 針は粗雑なものがあったが、ちゃんと縫うには中国から針を買わねばならなかった。当時の中国針は優秀で、日本も輸入している。羊はモンゴルに征服された高麗にはいたが、いつの間にか滅びた。車は西洋文化が流入するまではない。木を曲げる技術がなかったからである。だから李朝には樽(たる)もない。液体を遠方に運ぶことすらできなかった。かつて日本が保護したとき、韓国はそのような国であった。

 ≪歴史教科書にも国内批判≫

 韓国の歴史教科書について、最近では韓国の学者の間でも批判が出始めている。日本がやってきて、せっかく李朝期にあった韓国近代化の芽を摘み、植民地期にひたすら収奪したという論はもはや無理の限界に来ている。批判には、「このような収奪論には実証的な根拠が確実ではないという問題点がある。コメは日本に収奪されたのではなく、経済論理に従って日本に輸出されたのであり、それにともなって日本人を含む韓半島(韓国人は朝鮮半島をこう呼ぶ)全体の所得が増加した」(教科書フォーラム編『代案教科書 韓国近・現代史』2008年3月)と書かれてある。

 振り返れば韓国の歴史教科書もはじめからナショナリズム一辺倒であったわけではない。初期には、日清戦争で「日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(★佐鎬『中等世界史』英志文化社、1959年)とか、朝鮮は清の「半属国」だった(金聲近『高等世界史』高等学校2・3学年用、教友社、1962年)とか、平然と言っていた。

 日本が強制的に保護条約を押しつけたと居直るのは、70年代の中頃からのことで、朴正煕政権の後半、力量を持った民族ではなかったことが被植民地支配の原因だったと、ひそかに反省し始めたときであった。

 ≪利権あさる一部マスコミ≫

 ところが、82年6月26日に日本のマスコミが、教科書検定で日本の中国への「侵略」が「進出」に書き換えられたという誤報を行った。日本ではちょうど検定制度をめぐって政府と日教組が大揉(も)めだったときだ。

 中国・韓国からのはげしい抗議が始まり、結果として近隣諸国条項(1982年11月24日、教科用図書検定基準)が設けられ、その影響で文部省の第6期学習指導要領(1989年告示)で、「とくに朝鮮については我が国と深いかかわりがあり、従前よりもさらに重視するようにする」という但(ただ)し書きがついてしまった。

 反省の機会を失った韓国の歴史教科書は、日本の自虐史観に反比例するように、どんどんと自尊的になり、「しかし日本は帝国主義列強よりもさらに残忍にアジア各国を蹂躙(じゅうりん)し、20世紀の歴史を悲劇で飾った第二次世界大戦を起こした。このような悲劇は日本の朝鮮強占ではじまり、これは隣の国との友好関係を破壊したところにその原因がある」(申チェシク・洪ソンピョ『高等学校世界史』ポヂンヂェ、1990年)とまで、歴史の歪曲(わいきょく)を行うようになっていったのである。

 日本の自虐史観の対照には韓国の自尊史観があるのであり、それはひずんだ鏡のように日韓の関係を歪(ゆが)めてきた。もはやポストモダン期にある日韓では、世論は反日でも贖罪(しょくざい)でも盛りあがらない。盛りあがっているのは、韓国の反日市場で利権をあさり、同じく日本の贖罪市場で利権の維持に汲々(きゅうきゅう)とする、一部マスコミと学者たちにすぎないのではないか。(ふるた ひろし)

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081217/acd0812170302001-n1.htm

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冷凍力

  • Author:冷凍力
  • ニュース・コメント・ブログ「膳所狒々新報」主筆。
    立ち位置は外交安保教育刑事分野で右、社会経済分野で左。
    一応貴族で爵位は猴爵およびシーランド公国男爵。
    膳所の某所山奥に在住の好色酒好き秘湯ヲタの絶倫狒々(冷凍力)が戯言を宣います。キーワードは是々非々(部分否定・部分肯定/全否定・全肯定)。
    別荘は西九州。
    最近のマイ・ブーム・・・リョーユーパンのマンハッタン、湖池屋のカラムーチョ・スティック、キリンのストロング・セブン、Wエンジン、COWCOW、鈴木Q太郎(ハイキング・ウォーキング)のヤマタイコク(ヒミコサマ)、神戸蘭子、寺田ちひろ、佐々木希、新妻聖子、喜屋武ちあき、浜田翔子、中村静香、杉原杏璃・・・等々。


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200712~200803および200812~200908中は超多忙につき新規アップを休んでます。後にこの時域も資料室ゾーンになるかもしれません。

この前間違って過去のトラック・バックをいくつか消してしまいました。送ってくれた方々様申し訳ございませんでしたm(__)m。

本ブログの200609~200707の間は資料室ゾーンとなっております。現実の日付に関係なくほとんどの資料(本来的には自分用)をこの辺の時域に適当に振り分けてあります。他の時域にも散発的に資料オンリーのエントリーはあります。200609以前のエントリーは客観的資料と主観的感想がない交ぜで分野超越の普通の時事エントリーとなっております。
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大高未貴

大高未貴の世界見聞録
http://www.miki-otaka.sakura.ne.jp/
ジャーナリスト・ルポライター・キャスター
歯に衣着せぬ鋭い発言と体当たりの行動力、さらに1994年度ミス日本国際親善の美貌。現在国内最強クラスの若手国際ジャーナリスト。ところで、サイトバナー早く作ってくれろつか自分で勝手に作成したw。結婚して☆。
「世界エトランゼ街道 魔都の封印を解け! 」新発売!


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今や朝日新聞を筆頭とする内外反日ファシストたちが協同して捏造した今世紀最大規模の対日歴史偽造ということが明白になってきた。このような反日プロパガンダを断じて許しておくわけにはいかない。
日本に”思想警察”を誕生させてはならない。この法案はそうなる可能性を秘めている戦後最悪の危険な法案である。
敵性傾向の濃厚な国内最大規模の一部外国人集団に国家統治権の一部たる地方統治権=外国人参政権を付与するという日本開闢以来最悪の愚挙を断じて許してはならない。これは正真正銘真正の売国行為であり、100%違憲行為である(某傍論のごときアタマノイカレタトンチキ理論は完全除外)。

特亜政府地方参政権保持特別永住者地方政府日本政府

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