渡辺恒雄
「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである」 今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。・・・もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の『読売新聞』の力でそれを倒す。

膳所狒々新報

寒々冷え冷えとしたニュースコメントブログ:旧名「冷凍力の膳所狒々日記3」

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資料 歴史学・考古学

卑弥呼?後継者? 大規模周濠の一部を初確認 奈良・箸墓古墳
8月27日11時13分配信 産経新聞



箸墓古墳の周濠(手前から奧の落ち込み)=6月24日、奈良県桜井市(小畑三秋撮影)

 邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ともいわれる最古の前方後円墳、奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半、全長280メートル)で、前方部の外側から周濠(しゅうごう)の一部が同市教委の調査で初めて確認されたことが27日、分かった。国内最大の仁徳天皇陵(堺市、5世紀、全長485メートル)に匹敵する大規模な周濠が、仁徳陵の200年近く前に整備されていたことを示す極めて貴重な発見で、被葬者論争にも新たな一石を投じることになりそうだ。
 市教委が前方部の南西約70メートルを発掘したところ、長さ約35メートルにわたって「落ち込み状遺構」(深さ1・3メートル)が出土。落ち込みはそのまま前方部の墳丘に向かって広がっていたとみられ、古墳の周囲を大規模に掘削した周濠と判断した。過去の調査とも合わせ、築造当初は幅60~70メートルの大規模な馬蹄(ばてい)形の周濠が古墳全体を囲んでいた可能性が強まった。
 箸墓古墳ではこれまで、小規模な内濠と内堤の一部が見つかっていたが、周濠の明確な検出例はなかった。大規模周濠は5世紀の大型古墳などにみられ、3世紀の箸墓古墳には存在しないという見方があったが、学説の見直しも迫られそうだ。
 被葬者については、248年ごろに死亡した卑弥呼か、後継の女王・臺与(とよ)との説があり、大規模周濠の発見は被葬者の強大な権力の存在を示し、こうした説を裏付ける証拠になるとみられる。
 石野博信・兵庫県立考古博物館長の話「最初の大王墓である箸墓古墳に、すでに大型周濠があったことが確実となった。箸墓古墳はあらゆる古墳研究の起点だけに、構造が分かった意義は大きい」

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最終更新:8月27日17時54分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080827-00000918-san-soci

最古級の“3兄弟古墳”、形状ほぼ判明 奈良・纒向遺跡
03/06 02:58更新
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記事本文 邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡にある日本最古級の前方後円墳3基について、県立橿原考古学研究所と桜井市教委が相次いで発掘調査を行い、墳丘の形状や規模がほぼ判明したと5日、発表した。全長100メートル前後の大型古墳3基は、女王・卑弥呼の時代に“兄弟古墳”のように相次いで築かれていたことを確認。邪馬台国の謎に迫る貴重な資料となりそうだ。

 3基は勝山、矢塚、東田(ひがいだ)大塚の各古墳。南北方向に200~300メートル間隔で並んでおり、近くには全長280メートルで卑弥呼の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳や、纒向石塚古墳もある。

 今回の調査で、勝山古墳では墳丘の南側で前方部の一部と周濠を確認。古墳の形はこれまで、地形などから前方部が細長い長方形とみられていたが、東田大塚古墳と同様に三角形状に広がっており、全長は115メートルと推定されるという。東田大塚古墳では前方部の一部が確認され、従来の説より20メートルメートル以上長い全長120メートル前後と分かった。

 また、矢塚古墳では前方部の先端が見つかり、全長93メートルと判明。しかし、前方部は他の2基より極端に短く、古墳の誕生直後は設計プランが統一されていなかったことをうかがわせるという。

 調査では、3基が3世紀半ばから後半に相次いで築造されていたことも改めて確認。当時の政権構造を知るうえでも興味深い資料になるという。

 現地はすでに埋め戻され、8日午後1時から桜井市粟殿の市民会館で調査報告会(入場無料)が行われる。

 菅谷文則・滋賀県立大学教授(考古学)の話「卑弥呼をめぐる論争は、箸墓古墳を基準に考えられていたが、その直前に100メートル級の大型前方後円墳が次々と築造されていたことが明らかになった。3基まとまっての調査は、邪馬台国や古墳発生期を探る上で大きな成果だ」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/127754/


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資料 山下泰裕 韓国支那ロシア

1 :死にかけ自営業φ ★:2007/12/22(土) 15:09:18 ID:???
柔道=プーチン大統領、ロシア向け教材ビデオの撮影に協力

[サンクトペテルブルグ(ロシア) 21日 ロイター] 
柔道の黒帯を持つロシアのプーチン大統領は21日、柔道家の山下泰裕氏と一緒に、
道着に黒帯という姿で柔道の教材ビデオの撮影に協力したことを明らかにした。

プーチン大統領は、故郷サンクトペテルブルグで行われたトヨタ自動車の工場完成を祝う式典で、
日本人の専門家と一緒に柔道のビデオ制作に協力したと発言。
記者団に対し「われわれ2人は柔道の教材ビデオを撮影した。
来年の1月か2月頃に発売されると思う」と述べた。

同大統領は、ロシア向けの教材ビデオを作成した山下氏に対して感謝の意を示す一方、
来年開催される北京五輪で同氏が中国チームを指導することを知ると、
中国は開催国として有利だと述べ「(山下氏には)われわれのチームを指導してもらいましょう」と不満をもらした。

2000年の就任以来、プーチン大統領は柔道大会やスキーの滑降競技に参加するなど、
その運動能力の高さが報じられている。

人生の規律を養う際に柔道は大きな役割を果たしたというプーチン大統領は、
「柔道はお互いへの敬意を学ぶスポーツだ。
相手を敬う心を持つこと、弱そうに見える相手でも集中力を欠いたりうぬぼれたりすれば、
時には敗れることがあるということを教えてくれる」と語った。

ソース ロイター通信
http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-29489920071222


資料 美輪明宏

「女になろうと思ったこと一度もない」 美輪明宏、実は女性が大嫌いだった (J-CAST)
記事写真
写真1
 「明石家さんちゃんねる」で、衝撃の発言が飛び出した

人気番組「オーラの泉」に出演し、歯に衣着せぬ鋭いアドバイスをしている「愛の伝道師」美輪明宏さんが、別のバラエティ番組で驚愕の発言をした。外見とはうらはらに、実は女性が大嫌いで、「あんなものにはなりたくない」のだそうだ。
無神経でふてぶてしくて、繊細さが無くて…

美輪さんは2007年11月21日放送のTBS系バラエティ「明石家さんちゃんねる」に出演、さんまさんと、食事をしながらのトークを繰り広げた。
さんまさんは、美輪さんから指摘されたことが今でも胸に突き刺さっているそうだ。「自分自身を愛しすぎているから結婚できないし、幸せになれない」という事だそうだ。
美輪さんは、

「あなた、まだ結婚したいと思ってるの?」

と先制攻撃。そして、さんまさんが女性に対して持っている理想は虚しいと切り捨てた。

「あなたが好きなようなね、しっかりしているけど頼りなさそうな、保護本能をそそるような、そんな女は(いない)。私がこの歳になるまで、弱い女と強い男は見たこともない」

その言葉に驚いたさんまさんが、美輪さんに対し、「女になろうとして生きてこられたわけでしょ?」と聞き返すと、

「女になろうと思ったことなど一度もありませんよ!言ったこともない!あんなもの、誰がなろうと思うもんですか!!」

と激昂。女性の欠点を興奮気味に次々と口にした。

美輪さんが女性を嫌いなのは、無神経でふてぶてしくて、繊細さが無くて、ドーンと強い、ことなどだ。しかも、女性には、「でも」と「しかし」の切り札があって、それを後ろにずっと隠している。負けそうになると水戸黄門の印籠のように出してくるのだそうだ。美輪さんが例として挙げたのは、巨乳の女性が現れたとき。「うらやましい」「スタイルがいい」などと褒めるが、結局、「でも、あの人、頭悪そう」に持っていき、「負けない」状況を演出する。
「男性になろうとも思わなかった?」

男性は、「でも」も「しかし」も無いが、劣等感の塊。そして、「いい男」が全部嫌いなのだそうだ。日本の芸能界でもディレクター、カメラマン、脚本家達は「いい男」が嫌いだから「いい男」のスターが出てこない、と独自の分析。

「だから韓国から輸入しなければならなくなっちゃったのよ」

と笑って話した。

女性バッシングに続き、男性に対しても厳しい意見が出たところで、さんまさんが、

「男性になろうとも思わなかった?」

と訊いた。美輪さんは一瞬口ごもり、人間を見るときには、男や女というのはどうでもいいことで、「心の状態」が大切だ、といって、話をはぐらかした。そして、自分の周りには天才がワーッと集まってくる、と有名人の名前を列挙した。江戸川乱歩、17代目中村勘三郎、三島由紀夫、川端康成、五木寛之、大江健三郎の名前が出たが、その中に女性は一人もいなかった。

[ 2007年11月22日16時31分 ]
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/n_miwa__20071122_6/story/20071122jcast2007213681/



資料 ジャニーズと芸能界・メディア

井筒監督が中居、キムタク批判 「ジャニーズ支配」の威力低下?
2008/3/19 コメント(97)
その絶大な権力から、ジャニーズ事務所の所属タレント批判はタブーとされてきた。ところが、映画監督の井筒和幸氏(55)が映画などに出るSMAPメンバーをこき下ろすなど、最近タブーを破るような言動も増えている。芸能界の「ジャニーズ支配」に何か異変があったのだろうか。

過去にはデヴィ夫人もタブー破り
井筒和幸氏がタブーを破るような発言をしたのは、アサヒ芸能2008年3月6日号。連載中のコラム「アホか、お前ら!」で、ジャニーズタレントのSMAPメンバー2人に異例の苦言を呈したのだ。

映画「私は貝になりたい」に主演する中居正広さん(35)に対しては、丸刈りにして7キロやせたと告白したことについて、「やせたらエエってもんやないやろ」と一喝。さらに、発言はヒートアップし、「ヤツが元日本兵を演じてるとなると、もうギャグやぞ」「(役作りについて)制作中からうれしがってひけらかしてるアホにはあきれる」とまで言い放った。

得意の毒舌は、木村拓哉さん(35)にも及んだ。木村さんは、08年4月スタートのドラマで総理大臣を演じることになっているが、「出川哲朗が大河ドラマで織田信長をやるよりありえない設定」「ドリフのもしもシリーズも越えられないコントドラマに終わってまいそうやね」と言いたい放題だった。こうした発言については、月刊サイゾー4月号も紹介している。

タブーを破る言動といえば、タレントのデヴィ夫人(68)だ。「笑っていいとも!」の07年9月4日放送で、ゲスト出演したデヴィ夫人は、中居さんを指して、「だって、中居君は倖田來未って恋人がいて…」と発言していた。J-CASTニュースが9月5日付記事で報じたように、ジャニタレの交際をテレビ番組で触れるタブーを打ち破ったとして、ネットではデヴィ夫人を賞賛する書き込みがあふれた。そして、その伏線には、2人を含めジャニタレの「交際」のスクープ合戦をしたスポーツ紙の報道があった。

「ジャニーズが曲がり角に来ているのは確かです」
ジャニタレの場合、人気があるうちは簡単に結婚が許されないとも言われているにも関わらず、V6の井ノ原快彦さん(31)が俳優の瀬戸朝香さん(31)と結婚に踏み切ったことが話題になった。TOKIOの山口達也さん(36)は、モデルの女性(31)と「できちゃった婚」まで発表していた。

このほか、J-CASTニュース08年2月3日付記事のように、厳しく管理されてきたジャニタレの写真がネットで解禁されるようになってきている。

一連の変化は、ジャニーズのタブーが弱くなっていることを示すものなのか。

芸能評論家の肥留間正明さんは、こうした言動が出てきた背景について、「ジャニーズ事務所というよりも、むしろ時代の流れが変わったのではないか。ジャニーズはいつも同じパターンのタレントばかりで、視聴者にも飽きが来ています。SMAPは年齢的にアイドルではなくなっており、今は、小栗旬のようなタイプやビジュアル系が出てきて、媒体もテレビばかりでなくネットもあります」と分析する。つまり、時代の流れの中で、ジャニーズの力が相対的に弱まったとの見方だ。

実際、新聞各紙によると、KAT-TUNの亀梨和也さん(22)が主演したドラマ「1ポンドの福音」は視聴率が平均11%ほどに低迷し、ジャニーズJr.の生田斗真さん(23)が主演したドラマ「ハチミツとクローバー」は、10%を切ったとも報じられている。SMAPに続くジャニタレがいないのが痛いところだ。

もっとも、肥留間さんは、ジャニーズがその求心力低下で、やむにやまれずタブー破りを許しているともみる。例えば、KAT-TUN内でのゴタゴタだ。亀梨さんが俳優の小泉今日子さん(42)と交際・破局騒ぎになったり、海外留学したという赤西仁さん(23)を戻したりしたことに対し、「昔のジャニーズならありえない。今までのやり方では通用しなくなったのでは」と指摘した。

井筒氏の中居・キムタク批判については、「当たり前のことを言ったと思います。俳優は役作りに集中するもので、バラエティ番組に出て演技ができるのかということはあります。これまで独裁国家の中で怖がって思っていることを言わなかった連中の方がおかしい」と理解を示した。

元テレビプロデューサーの横澤彪さんは、ジャニーズ事務所内の変化を指摘する。

「長年、個人経営のような状態でやってきたのですが、そろそろ後継者に譲るべき時期に来ているのではないでしょうか。そうでないと、タレントなど若い世代との波長がずれてしまうからです。世帯が大きくなり過ぎて統率が取れなくもなってきており、その結果、力が衰えて締め付けが緩んできたのでしょう。ジャニーズが曲がり角に来ているのは確かです」

http://www.j-cast.com/2008/03/19018045.html
http://s04.megalodon.jp/2008-0823-0019-09/www.j-cast.com/2008/03/19018045.html

芸能界タブーに挑戦 デヴィ夫人ネットで大人気
2007/9/ 5 コメント(17)
「笑っていいとも」の2007年9月4日放送で、ゲスト出演したデヴィ夫人が、「SMAP」リーダーの中居正広さんを指し「だって、中居君は倖田來未って恋人がいて…」と発言したものだから、スタジオが騒然となった。ジャニーズ事務所のタレントの交際をテレビ番組で触れるのはタブー視されていて、それを打ち破ったとし、ネットでは、「デヴィ夫人は勇者だ!」「デヴィ、最高だ!!」など賞賛するカキコミがたくさん出ている。

「なんだ!デヴィ夫人って!?スゲーよ!スゲーよ!」

デヴィ夫人は、化粧品もプロデュースしている(公式ウェブサイトより) 問題のシーンは「女の品定め」のコーナー。「笑っていいとも」火曜日の男性レギュラー5人を品定めし、ゲストの女性が、恋人にしたい男性を1人だけ選ぶという内容だ。登場したデヴィ夫人は、恋人は「おりこうさん」がいいとし、5人それぞれの「豆知識」を披露するように言った。

デヴィ夫人は最初から中居さんに厳しい。「なんか中居さん、頭、カラッポみたいよ」とか、中居さんがコーヒー豆の豆知識を話すと、「なんか、作り話みたい」。さらに、「SMAP」の結成当初、稲垣吾郎さんはメンバーではなかった、ということを話すと、「こんなのチシキ~?」。そして、最終的に恋人に選んだのがお笑いタレントの山口智充さん。中居さんは最下位の「問題外」にランクされた。

そして、なぜ最下位にしたのかと問われると、

「だって、中居君は倖田來未って恋人がいて・・・」
とトンデモ発言。会場は騒然となり突然、お笑いコンビ「品川庄司」の庄司さんがステージ中央に飛び出してきて、

「なんだ!デヴィ夫人って!?スゲーよ!スゲーよ!」
と絶叫。司会のタモリさんなど他の出演者は、半笑いで固まっている、といった状態だった。中居さんはテレ笑いのようなものを浮かべ、何かを振り払うかのように自分の顔の横で右手を動かした。そしてすぐにCMに入ったのだが、中居さんはその直前に、

「ありえないから~!!!」
と叫んだ。

この模様は「ユーチューブ」や「ニコニコ動画」などに投稿されたが、テレビで、または動画で見た人達の評価は、デヴィ夫人に対し、かなり好意的なものが多いのだ。

ジャニーズの恋愛報道について発言することはタブー?
「2ちゃんねる」にもスレッドが立ち、「ジャニーズの恋愛報道について番組内で発言することはタブー」なのに、デヴィ夫人は果敢にもタブーに立ち向かったとして、

「すげーデヴィ夫人。何も言えないこんな世の中ポイズン超えた…。うちの会社来てバカ職制ドモにも言ってくれ」
「デヴィいいねぇ こいつは生番組に向いてるよ」
「なんか最近デヴィ姐さんが好きになってきた」
「そう、デヴィには心がある」
など賞賛のカキコミが多く出た。中には、

「夫人は未だに空気読めないからな 強すぎw」
など、キャラなのか天然なのかわからない、という評価もあった。

中居さんと倖田さんの「熱愛」は07年8月15日付けの「スポーツニッポン」がスクープとして報道した。06年9月に倖田さんが「SMAP」のコンサートに飛び入りしたことがきっかけで、共通の話題の野球が赤い糸になったのだという。両者の所属事務所は2人の交際についてどのマスコミに対してもノーコメントを貫いている。07年9月6日付けの「日刊ゲンダイ」は、2人に電撃入籍説が浮上していると書いていて、その根拠が2人ともに「熱愛」報道を否定していないことや、倖田さんが25歳の誕生日までに絶対結婚すると「公約」していて、それが07年11月であること。人気家具店で大量に雑貨や家具を購入したことなどをあげているが、さて、どうなることやら。
http://www.j-cast.com/2007/09/05010980.html
http://s02.megalodon.jp/2008-0823-0021-58/www.j-cast.com/2007/09/05010980.html


「SMAPは音痴」なのか ネットでは「下手なのも個性」 [ 04月19日 12時01分 ]
J-CASTニュース


人気アイドルグループ「SMAP」の歌があまりに下手すぎることに呆れ、アメリカのカリスマギタリストが「一緒に演奏できない」と激怒した。こんな本当とも噂ともつかない話が話題になっている。ネット上でも「SMAP」には歌唱力がない、とする見方がほとんどだ。ただ、歌が下手だというバッシングよりも、「下手なのも個性」といった寛容な反応が多いのが不思議だ。

歌手としてそこそこなのはキムタクぐらい?
「SMAP」がカリスマギタリストから激怒された、と報じたのは「週刊文春」の2008年4月24日号。記事によると、08年3月24日に放送されたフジテレビ系バラエティ「SMAP×SMAP」の収録で、ゲストで来ていたアメリカのスーパーバンド「TOTO」のスティーブ・ルカサーが、「SMAP」の余りのレベルの低さに呆れて激怒。「TOTO」の他のメンバーに宥められ、その場が収まったのだという。その後、スティーブのボイストレーニングを受けた、というオマケまで書かれている。

スティーブといえば、元々はスタジオミュージシャンで、大物アーティストを相手に、どんなスタイルの音楽であっても一発で最高のプレイを録音する、と絶賛されたカリスマだ。それだけに、日本のトップアイドルの歌唱力が許せなかったのかもしれない。

「週刊文春」の記事がどこまで本当か定かではないが、「SMAP」は「歌手としてそこそこイケるのはキムタクぐらい」と昔から言われていて、リーダーの中居正広さんに至っては「(全員で歌っているときに)オレのマイクだけオフになっている」と発言したことがある。さらに、とんでもない声を出して、音程を外し歌う「ネタ」さえ披露している。

「なぜ全く上達しないのかと、いつも不思議に思うんです」
だからQ&Aサイト「Yahoo!知恵袋」には、こんな質問が出たりもする。

「SMAPの歌って上手なんですか?それとも私の耳がおかしいのでしょうか」
「SMAPの歌唱力って驚くべき程・・・じゃないですか・・・?」
「SMAPの歌唱力って驚くべき程・・・」という質問は、07年11月30日に投げかけられた。回答は13来ていて、全部が

「はいっ!!驚くべき程下手ですよね!!」
「なぜ全く上達しないのかと、いつも不思議に思うんです」
と、歌唱力を否定する回答だった。だからといって、「SMAP」の存在を否定する回答はなく、

「でも、スマップだからいいんですよ」
「中居は歌以外ですごく活躍してるから大好き!」
「アイドルですから上手い下手は関係ないのです」
など、寛容なものばかりだった。

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http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20080419120147/JCast_19216.html
http://www.j-cast.com/2008/04/19019216.html
http://s01.megalodon.jp/2008-0823-0025-43/www.j-cast.com/2008/04/19019216.html

ジャニーズにひれ伏すキー局捨て ケータイとネットで勝負する
芸能リポーター梨元勝さんに聞く
2008/8/17 コメント(21)
民放キー局のワイドショーでは不定期出演になった梨元勝さん(63)。それが、加護亜依さんの独占インタビューに成功し、一躍脚光を浴びたのは記憶に新しい。その裏には、ジャニーズ批判を許さないテレビ局に抗し、着々とリベンジに備えてきた元祖芸能リポーターの執念があった。

7万人の会員で月100万円の収入

芸能リポーターの梨元勝さん ――梨元さんは、キー局ワイドショーのレギュラーでなくなって2年ほど経ちます。それなのに、なぜ元「モーニング娘。」の加護亜依さん(20)の独占インタビューに成功したのですか?

梨元 R&Aプロモーションの伊藤和之社長から2007年10月ぐらいに、「かわいそうだから、話を聞いてくれ」と加護さんを紹介されたんです。系列事務所に所属して芸能界に復帰するときでしたが、マスコミに取り上げてもらえるのか知りたかったようです。梨元なら圧力に屈しないから大丈夫だろうと思ったようですよ。聞いてみると、確かにかわいそうでした。一生懸命稼いでも父親の事業が失敗してしまう。両親が離婚したときに、2度目の喫煙をしたとのことでした。しかし、謹慎から1年経たないとまだ早いということになり、20歳の誕生日を過ぎて今年の4月6日にインタビューを公開したわけです。
――その場面はワイドショーでも放映され、「撮影オーマイニュース」とクレジットが入っていました。梨元さんは、どんな立場でインタビューしたんですか。

梨元 すべてのベースになっているのが、2005年6月に立ち上げたNTTドコモのケータイサイト「梨元 芸能!裏チャンネル」です。そこで記事や写真、40秒の編集動画を載せました。そして、同時に、撮影を担当したオーマイニュースで、より容量の多い動画サイトに分けて載せています。また、週刊朝日や東京スポーツ、テレビ朝日でもインタビューを紹介したわけです。1回60分の内容を、1週間のうちにいろいろなメディアに出したことになります。
――それはメディアミックスのようなやり方ですね。ケータイサイトにそんなに力を入れている理由を聞かせて下さい。

梨元 私が看板だったテレビ朝日のケータイサイト「芸能特報」がものすごくアクセスが増え、ドコモの芸能ニュースの1位になったんです。当時は280円の月額会費で70万人が会員になり、月2億円近い売り上げがありました。でも、私のギャラは月10万円超。「いくらなんでもひどい」と思って、独立して「裏チャンネル」を作ることにしました。24時間いつでも更新しており、「シンガポール社長、モナへの想い捨てきれず!!」といったスクープも出しています。右肩上がりで伸びており、(取材した8月5日は)芸能ニュースでは、テレ朝の「芸能特報」が9位なのに、「裏チャンネル」が4位ですよ。
――関係者によりますと、裏チャンネルは315円の月額会費で推定7万人の会員がいるとされます。これで、梨元さんは、月100万円ものギャラをもらっているといいますよ。十分食べていけそうですね。

梨元 自宅マンションのローンは終わりましたが、私の事務所はスタッフ2人を抱えていて(笑)、それだけでは無理です。だから、新聞・雑誌に原稿を書いたり、テレビに出演したりしているわけです。今後は、裏チャンネルを完成させて、大容量の動画も流せるようにします。また、自分のスタジオを持って、取材したことを生放送で定時発信したいですね。それをネットやテレビ、新聞などに配信するわけですよ。
ジャニーズ取り上げると、番組プロデューサーらから……
――梨元さんは、なぜキー局ワイドショーのレギュラーでなくなったんですか?

梨元 キー局は、もう情けない。ジャニーズ事務所のことを取り上げると、番組のプロデューサーらから「やばい」となります。だから、弱いところから攻めてるんですよ。私がワイドショーをやり始めたとき、芸能人に直撃するためどこへでも行こうという精神がありました。雑誌ジャーナリズム出身だったからです。人間を追いかける雑誌方式で、テレビを活性化するのが狙いでした。ですから、自主規制するとすれば、自分がやってることじゃない、見ている側も裏切ってしまうと思いました。取材する側が、真実を伝えるという精神から逸脱してしまうんですね。だから、キー局で時々出演するのは、もうTBSの「サンデージャポン」ぐらいです。
――確かに、ジャニーズへの対応に妥協できず、たびたびテレビ局と衝突していますね。やはりテレビ局は、ダメになったのですか。

梨元 キー局が頼んでいる制作会社の孫請けの人は、取材のことが分かっていないんですよ。昔は、ケンカするほど影響を受けたディレクターがいました。しかし、辞めるか飛ばされるかして、もういません。これじゃ、こっちが触発されませんよ。ディレクターらが、机に足を上げているようじゃダメなんです。テレビのコメンテーターも意味がありません。「離婚ですか? 愛がなくなったからじゃないですか」なんて、バカじゃないでしょうか。テレビがよく頼る記者会見は、スクープされて仕方ないからやるのです。本来は、最後の手段みたいなもの。ワイドショーは一回、解体しなさいということですよ。
――それでテレビに見切りをつけ、ケータイサイトに手を出したわけですね。

梨元 まず梨元チャンネルという取材母体を作って、ケータイとネットでやる。ほかのメディアは、向こうがほしいならどうぞということです。それが知恵です。加護さんの世代は、ケータイが分かりやすく、そこからの発信は説得力があります。彼女へのインタビューも、ケータイサイトのアクセス増を肌で感じました。情報はみなネットで探してきており、もはやテレビを見ろという時代じゃありません。加護さんもネットで、私のホームページを見ていました。彼女のインタビューを載せたオーマイニュースの動画は、アクセスが多すぎてパンクしています。今や動画の時代でもあるわけです。
――とすると、テレビはもう役割を終えたということですか。

梨元 テレビは、キー局以外ならいいですね。地方局のワイドショーは、ジャニーズ規制に対してイラスト援用のアイデアを出すなど、切磋琢磨していてとてもいい雰囲気です。だから、私は、九州から北海道まで、地方局の番組のレギュラーになっています。また、テレビは自由だったはずなのに、新たな展開はBSから生まれています。ですから、BSでテレビを立て直したいと思っているんですよ。地上波は、未だにある程度の影響力がありますから、お声がかかれば利用します。でも、どっぷり浸かるのはもう無理ですね。

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【梨元勝さんプロフィール】
1944年、東京・中野区生まれ。法政大社会学部卒後、講談社「ヤングレディ」記者となる。76年に芸能リポーターとして独立し、テレビ朝日「アフタヌーンショー」に出演。「恐縮です」の突撃取材スタイルで話題を集める。その後、テレビ朝日を中心に、ワイドショーに出演。2005年からケータイサイト「梨元 芸能!裏チャンネル」をスタートさせ、ネット媒体でも活躍している。著書多数。
http://www.j-cast.com/2008/08/17025144.html
http://s01.megalodon.jp/2008-0823-0013-24/www.j-cast.com/2008/08/17025144.html




覚書 NHK人形劇プリンプリン物語に隠されたメタファーの推理 デルーデル編

http://hidebbs.net/bbs/koiduka?n=17948691
より
凍冬引=冷凍力
参照:http://www.geocities.jp/hirajirou2002/prinprin/
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テーマ=イラン情勢と国際関係、戦争批判、石油の真の所有者は誰か、石油とクルマ文明風刺
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乗り物オンパレード

デルーデル(一面のチューリップ畑)→ネーデルランド=【オランダ】→女王(クイーン)=石油メジャーロイヤルダッチシェル大株主=ダブルイメージ=【イラン】民衆(ペルシャ絨毯女工)(ペルシャ絨毯のかかった部屋でせっせと機を織る場面)~大統領(夫人)によって地下牢に監禁されているクイーンはモサデクによってイランの石油資源から締め出されようとしていた石油メジャーロイヤルダッチ(シェル)を表すとともに、貧困環境に閉じ込められて苦しむイランの貧窮民衆をも表す

マブダーシ(師)→一見イスラム教徒風の宰相→20世紀初頭イラン(これは中東における初の石油発見)の石油発見者W・K・ダーシー(【英国】人)=石油メジャーBP(ブリテッシュ・ペトロリアム=旧アングロ・イラニアン石油会社)創業者==MOBIL(大手石油会社(オイルメジャー)、エクソンモービルの略)MOB=モブ→マブ:モブ+ダーシー=マブダーシ=【トルコ】帽っぽいのをかぶっている=カージャール朝(イラン石油発見時の支配王朝はトルコ系、モサデクはカージャール王朝の血統)=モサデク/師=ホメイニ師

007ヘンナキブン→MI6スパイ(もろJ・ボンド中佐)風→【英国 】=ダブルイメージ=CIA=【アメリカ】

ランカー→死の商人(中性子爆弾を新発売)=【アメリカ】軍需産業/【スリランカ】

ヘンな観光客3人組・ジャッポン→【日本】=大量の石油消費マシーン(クルマ)(ジャポン製のナナハンバイク)の大供給国で、中東石油の大消費者 =モサデク革命の時日本が石油を買った


イタリア】風大統領一家(マカローニ・スーパゲッチ・ケーチャップ)→当時のイタリアENI(=炭化水素公社、石油公社)=モサデク革命の同盟者=反石油メジャーグループ =モサデク革命の時イタリアが石油を買った=ダブルイメージ=イタリアに亡命したイラン・パフレヴィー朝国王パーレビ(「もしあなたがこの国の帝王になるのならあなたは誰の子なの?」) 

アルプスの少女ハイチャ→アルプスの少女ハイジ=【スイス】=世界の金銀財宝の隠し金庫

ネチアーナ伯爵夫人→ベネチア=イタリア大富豪貴族=世界お金持ちクラブ=ロスチャイルドファミリー・ロックフェラーファミリー【世界政府】=英米蘭石油メジャーの大元=世界の支配者=戦争(核)の行方を左右する(弄ぶ)


デルメンデルメン教授→=メンデル=イラン国民(「私は今まで研究だけを考えて生きてきた。王様がどうしようと、大統領が何をしようと、外国人のMrランカーがこの国をどうしようと私には関係無い事だと思っていた。だが!!、こんな目に遭わされてやっと気が付いた!!私はデルーデルの花畑を守る運動の先頭に立つのだぁー!!」)花畑=石油資源
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■ 最後の王国 イラン パフラヴィー朝
シャー・レザー・ハーン(シャーとは皇帝の意味)は早速、イランの改革に乗り出します。まずは軍隊などの近代化をさらに推し進めます。しかし、この近代化が伝統的な宗教の権威を脅かすと言う事になったのです。これがのちのイスラーム革命につながる伏線となりました。

第2次世界大戦では中立を宣言してたもかかわらず、実はドイツと同盟を結んだため、イギリス帝国とソ連に侵攻され、シャーは南アフリカに亡命します。イラン王国の後を継いだのは息子のムハンマド・レザー・パフラヴィー(22歳)でした。

いきなり新皇帝になったムハンマド皇帝には執政は無理です。そこで、政治を担当したのは議会のムハンマド・モサデク首相でした。モサデク首相は石油会社の国有化を推し進めましたが、皇帝はこれに反対していました。モサデク首相は、カージャール朝の血を引いている事が原因かどうか分かりませんが、皇帝と対立しました。

皇帝の反対を無視して、石油産業の国有化が議会を通ると、イギリス帝国が経済圧力をかけてきました。イギリス帝国自身が利権を取るためです。その結果、国有化による石油利益は減少し、モサデク首相は国民の支持を失っていきました。

さらにイギリス帝国はイランをもう一押しするため、アメリカを誘ってモサデク政権の転覆を図ります。もちろん両国とも石油を狙っての一押しです。

1953年8月15日、国王はモサデク首相を解任しようとしますが、この計画は事前に漏れてしまい、逆に国王の身に危険が迫りました。CIAはこれを見て、8月19日、民衆にデモを起させます。そして、皇帝派の軍隊がクーデターを起こし、政権を皇帝の手に戻してしまいます。

http://www.geocities.com/inazuma_jp/iranrevolusion.html


繰り返しになるが、20世紀の初頭よりイラン原油を支配してきた現在のBPの前身であるアングロ・イラニアン石油会社の国有化を提唱した。そして1951年に首相に就任するや、同社の在イラン資産の国有化を断行した。国際石油資本はイラン原油をボイコットして経済的にモサデク政権を絞め殺そうとした。追い詰められていたイランから原油を買ったのは、イタリアや日本の石油会社である。若き日の作家、石原慎太郎が、この事件を題材に『挑戦』という小説を書いている。日本のオイル・メンが国際石油資本の鼻を明かして石油を輸入し、アジアの新興国を助ける。そんなストーリーであった。イランにイエスと言った日本だった。だが、この程度ではイランの経済は好転しなかった。そして遂に1953年には、アメリカやイギリスの諜報機関が糸を引いたクーデターで民族主義政権は倒れ、やがてモサデク博士は失意の内に世を去った。

“Minaret/Revival of Dr.Mosaddegh”『中東協力センターニュース(投資関連情報)』(2000年6/7月号)1~4ページ 連載エッセイ「中東情勢分析ミナレット」用原稿2000年5月18日(木)記
http://u-air.net/social-science/theses/takahasi-rennsai005.htm

資料 NHKと朝鮮人の歴史認識

187 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2009/09/18(金) 13:13:22 ID:dZtomXUE
9月27日(日)にNHKで放送予定の「日本と朝鮮半島2000年 第6回 蒙古襲来の衝撃」の
 内容の説明がNHKのサイトに書いてあった。
 ちょっと読んだだけであまりの空想、妄想に笑ってしまった。
 例えば以下の一文を読んでもらいたい。
 
「近年の研究で三別抄の激しい抵抗が日本攻撃を大幅に遅らせるなど、蒙古軍の敗因のひとつに
 なったことがわかってきた。」

 三別抄というのは高麗軍のごく一部が珍島に拠って抵抗したがモンゴル軍に撃破され、済州島に
 逃れて抵抗したが、程なく全滅したというグループだ。
 この程度の集団の抵抗が蒙古軍の敗因の一つになるなどあり得ない話だ。
 しかもこれは元軍の第一回目の襲来の数年前のことであって、第一回目の襲来は対馬の島民を
 虐殺して島民の一部を誘拐して、九州の一部で小競り合いをしただけで、ほとんど戦いらしい
 戦いもしないで引き上げている。
 元軍の艦船が暴風雨によって沈没して大規模な被害を蒙って日本軍に追い立てられて逃げ帰ったのは
 第二回目の襲来時だ。それは第一回の襲来から7年後で、しかもこのときの主力は第一回の襲来後に
 蒙古に服属した南宋の軍隊である。朝鮮の三別抄など影響するはずも無いww

 しかも三別抄が徹底抗戦したというのも噓で、実際には蒙古に対して「軍を引いてくだされば
 降伏いたします。」という内容の文書を送っている。結果的にモンゴルに拒否され殲滅されたに過ぎない。
 日本が援軍を出さなかったなどというイチャモンに関しては戦略上から見ても当然の行動であって
 モンゴル軍のような当時の最強軍隊に対して、わざわざ敵地に赴いて戦う馬鹿はいない。
 
 ちなみにこの番組のスタッフにはコーディネーターの肩書きで朝鮮人が加わっています。
 NHKの番組はここまで朝鮮人のアホの言いなりになっているのかと思うと情けない。
 こんな団体が受信料を半強制的に取り立てる権利はないだろう。 


資料 ミシマ 緒形拳 宮崎正弘

●俳優の緒方拳さんが亡くなった。小誌の読者には意外かも知れないが、じつは
緒方拳さんと接点があった。映画を余り見ないけれども若いときに「復讐するは
我にあり」だったかの映画をみた。しかし鮮烈な記憶はコッポラの映画「ミシマ
」で、緒方が三島由紀夫を演じたことである。三島文学を理解した演技に感心し
たのだった。アメリカ人に、この映画を感心して見た人が多いので、よく話題に
もなった。「憂国忌」の発起人を頼もうとしたこともあった。
●緒方拳は大黒屋光太夫も演じた。原作は井上靖の『おろしや国酔夢譚』。91
年だったと記憶するが、モスクワからサンクトペテルブルグ(当時はまだレニン
グラードと呼んでいたっけ)へ向かう飛行機で緒方と偶然、一緒だったのだ。「
エカテリーナ宮殿へロケに行くのです」とサンクトペテルブルグ行きの理由を言
っていた。なくなった個性派俳優の川谷拓三らも一緒、しかも同じ飛行機には当
時スケート選手だった橋本聖子さんも乗っていた。
●もうひとつ、接点があった。やはり二十年ほど前だが、麻布に友人がいて、毎
週のように麻布十番で食べて飲んだ。その一軒がNというレストランで、店主が
緒方拳の知り合いとかで緒方のおおきな書を飾っていた。雄渾な筆致だった。と
きおり、彼がひとりで来て静かに飲んで行くと言っていた。合掌。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)10月8日(水曜日)弐
         通巻第2342号


資料 文学論的

46 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2007/11/05(月) 21:03:10 ID:S8epj4G5
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071031/139208/?P=2
> 〈1920年代、30年代に活躍した日本の私小説(中略)に登場する人物たちは、だいたい、
> 一、人に嫌われることを大変に恐れる
> 二、自分の中の悪から目をそらす
> 三、優位を羞じて、自分を劣位に置く
> 四、周りはみな善い人で話し合えばわかると信じている
> という心性を共有しているのが特徴である〉
>
> 別に1920年代でなくとも、たいていの人間はまあそんなもんじゃないかと思うが、
>(ry
>正直いって、読んでいて寒々とした気持ちになってくる……のは、評者が典型的な
>日本人だからかもしれない。

寒々どころか、思いきり同意できるんだけど。
こうした性向って、「嫌われる」心配が無くなる、あるいは「どうせ嫌うんだろ?」って開き直ると、
悪い方向にしか働かないわけで。

「一」から、「嫌われる心配」が無いので「言動のリミッター」が外れ、感情優先&思考力低下モード突入。
「二」から、自分の落ち度は棚上げにし、「非難(反省しる、改善しる)」一辺倒へ。
「三」から、「自分は被害者」の立場に固執、「相手への非難=正当な権利」と思い込む。
「四」から、「自分の要望を受け入れない=お前は「悪」だ」で、相手を必要以上に圧迫。

「一~四」の性向を持つ私小説の主人公が、ちょっとしたことで妻や子供を怒鳴りつけたり、「文学的退廃」に
のめり込んで家庭を省みないなんて、正にこれじゃねえの?
「家長」になれば、「家族から嫌われる(少なくとも表向きは)」ってことを心配しなくていいもん。


資料 サイデンステッカー 幽霊

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 11月6日(火曜日) 
通巻 第1991号   (11月5日発行)
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((( 随筆 )))
  サイデンステッカーさんの時計
    追悼会で半年止まっていた時計の針が進んだ
**********************

  ♪
 エドワード・サイデンステッカー氏といえば、『源氏物語』の名訳家として世
界的に名高い。
また川端康成『雪国』『山の音』や、三島由紀夫『天人五衰』などを翻訳、とく
にノーベル文学賞授賞式には川端氏に同行して記念講演の草稿、「美しい日本の
わたし」を直前まで訳出に追われた逸話は有名だろう。
 江戸情緒と下町を愛した。湯島のマンション近くでは下駄履きのことも多かっ
た。
湯島から上野公園を散歩中、不忍池で転んで、そのまま意識を失い、四ヶ月入院
したが、帰らぬ人となった。
 転倒したのは四月二十六日の午後六時半で、時計はそのまま止まっていた。
 半年が経った。

 11月4日の日曜日は、そよ風と太陽に恵まれ、上野公園は家族連れ、アベッ
ク、行楽客にごったがえしていた。
公園のなかにある上野精養軒は、ちかくに住んだサイデンさん(誰もがサイデン
ステッカーという名前が長いので、こう略した。本人もそう呼ばれることを喜ん
だ)が、好んだレストランだったが、同時に式場を兼ねた由緒のある建物。ここ
で、八月になくなったサイデンさんをしのぶ集いが行われた。すぐ真下の不忍池
で転んだからだろう。

 参加者ひとり、ひとりが入り口で遺影に献花した。会場には静かな音楽が流れ
ていた。『雪国』の英語の朗読もあった。
 遠く米国からは甥と姪にあたるピートとパトりシアから長いメッセージが届い
た。多くの教え子、文学の友人、学者が詰めかけた。
 舞台はおおきな花々で遺影を取り囲み、スクリーンには在りし日のサイデンさ
んのスナップが多彩に映し出された。
愛猫は「はなこ」だった。日本にいる間、サイデンさんの傍を離れなかった。ス
ナップのなかには見覚えのある友人達との笑顔がいっぱいだった。

 サイデンさんを最後まで介護したのは山口徹三氏だった。彼が追悼会の準備を
こなした。緊急に編まれた随筆集(私家版『サイデンステッカー』)も配られた

 故人が締めていたネクタイは百数十本。陳列後、希望者に形見分けとして配ら
れた。わたしは“サイデン・ネクタイ・コレクション”のなかから一番派手なも
のを選んだ。
そうだ。サイデンさんは、ネクタイが好きで、一度、或るパーティでネクタイ論
議をやった。私がまだ三十そこそこの頃で、派手なネクタイをしていたのをサイ
デンさんがめざとく見つけ、「このデザインは何ですか」と絡みだしたのだ。
喧嘩早い人だった。

 最初に友人だった高橋治(詩人、直木賞作家)氏がサイデンさんとの想い出を
、ぼそりぼそりと語った。
 献杯は加瀬英明氏が音頭をとった。会場には知り合いの編集者や石原萌記『自
由』社長、村松英子さんの顔もあった。

 僚友だったドナルド・キーン氏の弔辞。
 「いまから六十五年前にコロラドの海軍日本語学校で知り合った。三回生下だ
ったのがサイデンさんだった。頭脳明晰で会話も弾み、仲良くなり、一緒に日本
語を勉強した。戦後、赴任地が異なっていた間は、文通をしていた。
 その後、わたしは京都へ留学、サイデンさんは東京の下町(文京区林町)の小
さな家だった。京都に来たときはサイデンさんが私の家に、わたしが東京へ行く
ときは彼の家に泊まった。しもた屋で朝、「納豆ぅー」と叫ぶ声がした。豆腐を
売る声もあった。下町で庶民の生活の臭い、サイデンさんは、もっとも好きだっ
たのだ。
 京都は綺麗だが、活気がない、とサイデンさんは言っていた。好きではなかっ
たのだろう。
 古典落語が好きだった。わたしは京言葉を勉強していた。お互いに『蜻蛉日記
』などの訳語のことで議論しあった。
 よくわたしとサイデンさんを「ライバル」と言うマスコミがあったが、わたし
は全然、そんな風に認識したことがなかった。お互いに日本文学を志しても、カ
バーする分野が違った。別の分野だった。
 その後、コロンビア大学で空席ができたので、サイデンさんと交替で受け持っ
た。毎年春(1-5月)をわたしが、秋(9-12月)をサイデンさんが担当し
た。だからコロンビアでは同じ家に住んで、お互いに家具を置きっぱなしにして
いた。近年、日本文学を志した同士らは、随分と不在になって、その不在は、深
いところで物足りない。サイデンさんの追悼会に、こんなに多くの人にきていた
だいて、私にとっても慰めになる。」


 ▼志賀直哉、小林秀雄を認めなかった

 文壇を代表して丸谷才一氏が挨拶した。
 「サイデンさんの功績は川端、谷崎、太宰を海外に認知させたこと。その選び
方、訳しかたが、読者を豊かにした。源氏物語を世界にしらしめた。往時の日本
の文檀は、志賀直哉が谷崎潤一郎より上という位置付けだった。私小説優位を覆
して、文学のレベルの領域を確立した。漱石を絶賛し、小林秀雄を認めなかった
。その点でわたし(丸谷)とサイデンさんは共通していた。荷風には批判的でも
あったが、サイデンさんの死に方は荷風より荷風らしい。人生そのものが文学的
である」。

 しかし、サイデンステッカーは志賀直哉『城の崎にて』を訳している。丸谷氏
もキーン氏も意図的にか、三島由紀夫の名前を出さなかった。
 
 生花と好きだったお酒に囲まれたサイデンステッカー氏追悼会は会場がぎっし
り満員になった。
 会場には田中健五、粕谷一希氏ら懐かしき編集者も大勢いたが、知らない顔も
多い。下町の散歩仲間、居酒屋の常連、そして落語の常連だという。なかにテレ
ビ朝日外報部の知り合いがいるので、「?」。
「上野の居酒屋でよく一緒になり飲んだ仲ですよ」と自らの解説があった。小生
自身は学生時代にやっていた『日本学生新聞』や、その後、雑誌『浪漫』に寄稿
してもらったり、憂国忌第一回のときはハワイに電話をかけて、メッセージを頂
いた。一昨年は花見で屋形船に揺られた。九段会館のシンポジウムでは壇上にも
昇ってもらった。

 途中で騒ぎが持ち上がった。
 サイデンさんの翻訳本や写真が展示された陳列台におかれた時計が動きだした
のである。
 最初に発見した人に誰もが「嘘だろ」と言った。会は四時半から始まり七時十
五分ごろ終わった。六時半でとまっていた時計が、六時半に動き始め、7時十五
分をさして止まった。
 追悼会のあいだ、まちがいなくサイデンさんは、あの会場に居たのである。
帰宅後、私家版のサイデンさんの随筆(原文は93年11月号の「うえの」)を
読んだ。「わたしは幽霊の存在を信じる。」と書かれていた。


資料 サムライ嫌い 降旗 学

デキルヤツノ条件 9:サムライとだけは言われたくない 
2008年5月5日(月)09:00

 私は“サムライ”という生き物が大嫌いなニッポン男児である。

 嫌いなんです、お侍さんは。珍しいんじゃないでしょうかね、サムライが嫌いだなんていうやつは。でも嫌いなんです。自分でも変わったやつだなあと思うけど。

 何故かというと、戦国の世、彼らは戦をして人を殺し、相手の領土を分捕ることを生業としていたからだ。根っからの平和主義者なんだな、私は。

 では、何故、お武家さんたちが相手の領土を分捕る必要があったかというと 、当時、彼らには“お給金”というものがなく、石高で報酬を得ていた。これがいわゆる禄高。××何千石とか××何万石とか言いますね。だから、いまも“禄を食む”という言い方が残ってます。

 領主や藩主は、合戦でたくさん人を殺した家臣たちに論功行賞という名の殺人褒賞を行い、砂金や銀といった現物支給の他、加増というかたちで領地を与えた。ときには感状を与えたり、自分の名前から一文字を与えて改名することを許したりもしました。こちらは非常に安上がり。

 殺した相手が“大将首”や“兜首”と呼ばれる大物だとその首を切り取って持ち帰り、首実験と称して自らの殺人を証明してみせた。相手がそれほどの器でないと、たしか左耳を切り落として、やはり自ら人を殺した物的証拠とした。お侍さんたちはそういうことをしていたわけです。夏場の戦なんて大変ですよ。2週間もかけて国に戻ったとき、持ち帰った首はどうなってると思います?

 しかし、たくさん人を殺すことのできる優秀な家臣が増えると、てめえんとこの領地だけでは足りなくなってしまうので、領主や藩主はたくさん人を殺した優秀な家臣に分け与えるために隣接する他国に攻め入った、と。それがすなわち自国の勢力を拡大することでもあり、お侍さんたちにしてみれば、たくさん人を殺して他国の領地を分捕れば、それだけ出世もするし加増もされる、と。たくさんの人を殺し、領地を分捕ることで、藩主とお侍さんたちの“利害”は一致していたわけです。言うなれば、合戦というのは“侵略戦争”と何ら変わりがなかったんですね。

 だから嫌いなんです。サムライという生き物が。

 私がサムライという生き物が嫌いな理由はもう一つ……、もう三つかな。結構あるんだな、これが。

 合戦がはじまると、お侍さんたちはお百姓さんの生活や苦労を顧みようとしなかった。

 政(まつりごと)を司っておきながら、てめえらの思惑だけで好き勝手するんじゃねえよ、と私は言いたいだけ。百姓という言葉はとても美しい言葉だけど、お百姓さんが“百の姓”に従じなければならなかったのは、お侍さんたちが生殺しで搾り取れるだけ搾り取ったからでしょう。

 生活苦から一家心中しなければならない人もいたし、泣く泣く娘をお女郎屋さんに売らなければならないお百姓さんだっていたはずです。その娘たちを抱いていたのは誰ですか? あんたらじゃないんですか、お武家さん。ま、町人や職人さんも客にはなっていたでしょうが。

 織田信長、豊臣秀吉、“とくながみえやす(当コラム第3回目参照)”といった三傑の登場で天下統一がなされるが 、参考までに言っておきますが、戦乱の世に終止符が打たれたのは、関ヶ原の戦いとそれに続く大阪冬の陣・夏の陣で徳川方が勝利を収めたからではありません。島原の乱で、お侍さんたちが反乱分子とみなしたお百姓さんたちを“武力鎮圧”したのが最後の戦。原城址にこもったお百姓さんたちが皆殺しにされて以降、およそ250年の長きにわたり日本から戦はなくなります。その頂点に君臨したのが徳川一族です。そうなのです、徳川さまは偉大なる将軍さまなのです。偉大なる将軍さまも、21世紀には自分がクイズに出題されて“とくながみえやす”と答えられるとは思ってもなかったことでしょう。

 都が江戸に移され、日本から戦がなくなると、それまで人を殺すことを生業とし、戦を出世の足がかりにしていたお侍さんたちは、体裁だけにこだわる“えぇかっこしぃ”に変貌を遂げてゆく。刀という人を殺す道具を“武士の魂”だなどと言い出し、使う機会もないのに後生大事に持ち歩くか、観賞用に愛でて喜ぶ数寄者になる。

 平和な時代の到来は21世紀の現代でも求められるところだが、泰平の世は、人を殺すことを生業にし、戦を出世の足がかりにしていたお侍さんにはたいへんな時代でもあった。戦がないということは、腕に覚えのあるお侍さんより、算盤や書類の作成を得意とするお侍さんのほうが重用されるからである。槍一本でのしあがった時代は終わったのだ。

 すると、剣術は不得手でも、頭脳明晰なお侍さんがどんどん出世してゆく。事務方と呼ばれる仕事で、いまで言えば政務官や事務官といったところか。文官タイプの武将のさきがけは石田三成になるそうです。出世が望めなくなった無骨なお侍さんたちは“武辺”と見栄を張っちゃって、武士道とかいう形式美に縋りつくしかなかったわけですが。滅びの美学とか言っちゃってね。勝手に滅びてなさい。今日の私はちょっと過激。だって嫌いなんだもん、サムライって。血を分けた親子や兄弟どうしで殺し合う人種など、好きになれるわけがありません。

 しかし、そこはそこ。お武家さまには“世襲制”という、とっておきの切り札があった。ご先祖さまが頑張ってたくさんの人を殺してくれたおかげで、どんなぼんくらな末裔でもそれなりの地位と役職と生活は保証されていた。抜け目がありませんな、お侍さんというのは。

 彼らにとって、何よりも重要視されたのがお家の大事。藩の安泰です。我が身においては跡取りと家の格。そして閨閥、あるいは権力者との縁故、結びつき。逆に、彼らが何よりも恐れたのが、家臣すべてが失業することになるお家断絶とお取り潰し、そしてやっぱり自分が失業することになる改易。改易というのは、所領、家禄、屋敷を没収されることです。いまでいう解雇です。

 お侍さんというのは、自己保身に長けた生き物を言うのだ。こんな連中がくだらない身分制度のトップに居座り、国や地方を治めてたんですよ。お百姓さんの生活なんか眼中にあったんだかなかったんだか……、おそらくなかったでしょう。身分にこだわり、家督とか、自分が失業しないことにのみ生涯を費やしてたんだから。

 思い当たりませんか? お侍さんたちに非常によく似た人たちに。

 その人たちは頭脳明晰で、ときにエリートと呼ばれます。ですが、案外と打たれ弱く、鎖国が井の中の蛙を育てたように、諸外国のエリートを相手取るとまともな議論もできず、相手の言いなりになって帰ってきます。それでいて、とかく体裁や体面にこだわり、プライドが高く、自分が失業しないことにのみ留意するばかりか、在職中に天下り先の確保に奔走します。年貢として取り立てたお米は、お百姓さんが汗水垂らし精魂込めてつくりあげたものだという意識の欠片もなく、また自分の懐を痛めることもなく、なくなったらまた取り立てりゃいいやという感覚で湯水のごとく使う人種です。

 いますよね、こういう人たち。

 やたらと世襲にこだわる人たちもいます。やっぱりお侍さんと同じで、政にかかわっている人たちです。世襲のために政にかかわろうとするところもお侍さんと一緒。お侍さんが切腹したのは、腹に黒いところがないことを証明するためでもありましたが、こちらのお腹は真っ黒くろすけ。日本にはいっぱいいます。二枚どころか、舌もいっぱいお持ちのようで。

 だから 、というわけではないけれど、私はサムライというものが嫌いなのだ。

 サムライを英雄視する風潮もあまり好きではない。大地を耕し、作物を育てたお百姓さんのほうがよっぽど立派なことをやってきたと思うのだけど。

 超常現象が下火になったかと思ったら、ここ数年はスピリチュアルブームらしい。

 私は、霊魂も幽霊も守護霊も前世も信じていないが、もし前世というものがあるのであれば、履き捨てられた草鞋だとかオマルの生まれ変わりというのはちょっと困るが、サムライと言われたらもっと困る。そうしたら絶対に前世なんか信じない。何十億年前のミトコンドリアだと言われたら完全に信じるけど。

 できるなら、前世はお百姓さんであってほしいと思っている。私が歯を食いしばって生きているのは前世のお百姓さんの粘り強さが受け継がれたからなのですよ、なんて言われたらちょっと感動するかも。あるいは簪職人とかね。粋でモテそうだし。私は市井の人でありたい。貧困や困窮につきまとわれても、そこに小さな幸せを見出せる人間でありたい。

http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-154823-01.html
9:サムライとだけは言われたくない
2008年5月2日 金曜日 降旗 学
サムライ  武士  侍  世襲   さて、ここで、ある狂言師の話をすることにしよう。

 う~む、やっぱり前置きが長くなってしまったか。読者はもういい加減に馴れたんじゃないかと思うけど。それとも、毎度のことで、もう苦言を呈するのもばからしいとか。そういえば、いつぞやの回ではすさまじい数のコメントが寄せられたのに、何故か1件も“前置きが長い”という内容がなかったな。このスタイルがようやく認知されたってことなんでしょうか。んなことはいいから早く話を進めろ、と読者の声が聞こえてきそうです。

 私がその狂言師に会ったのは、10年ちょっと前のことだ。

 雑誌のインタビューで、編集部はホテルのスイートを押さえていた。これは当たり前によくある話。約束の時間を10分近く遅れてきた彼は、入室するなり、挨拶もせずにレストルームへ直行した。

 年齢は私より2つ下。だから昭和41年の生まれだ。挨拶もしないのは無礼な話だが、腹でも黒いのか……、もとい、腹でも壊しているのであればしょうがないと思ってレストルームのほうに目をやると、ドアは全開。彼は鏡の前で、乱れたお髪をせっせとなおしていた。

 感じ悪いやっちゃなー、が私が受けた第一印象。誰だってそう思います。

 だが、私の直感は間違っていなかった。彼は、インタビューの中で、自らを“サムライ”にたとえた。正しくは、狂言師という仕事を、だが。

 いるんですよ、自らをサムライにたとえたがる輩。もののふとか、さっきも書いた武辺なんて言葉を使ってね。特に政治家のセンセイ方は好んで自らをサムライにたとえたがる。ばか……、もとい、特権意識丸出しですな。私は百姓の代弁者だと言えばもっと票が取れるのに。農作は国の礎ですよ。ねえ、ばか……、もとい、特権意識丸出しのセンセ。

 こちらの狂言師もその類だった。

 彼の口からサムライという言葉が飛び出したのは、こんな感じだ。

「ぼくたちは子供のころから舞とか型を習ってるから、しっかり身についてるんですよ。むかしからの習わしでね、歌舞伎役者が教わりに来るくらいなんです。××××なんかも習いに来てました。そういうのに稽古をつけてやるのも狂言師の仕事で、要するに歌舞伎役者は基本ができてないんですよ。ぼくたち狂言師がサムライだとすると、歌舞伎役者は河原乞食というかね」

 こんなことをのたまうのである。

 伏せ字には有名な歌舞伎役者の名前が入ります。彼のお父さんに稽古をつけてもらっているのを見たとのことですが、彼より二まわりも年上の役者さんです。彼は、当然のように呼び捨てでした。そりゃそうだわな、お侍さんからすりゃ。

 お前さ、伝統芸能とか言ってるけど、狂言師なんてのは早い話が中世の“お笑い芸人”じゃないか、と喉元まで出かかった言葉をごっくんと飲み込む私だった。狂言というのは、もともとはいまで言うコントなんですよ。だから道化役を“狂言まわし”と言ったり、嘘や戯れ言を“狂言”と言うのです。

 政治家を筆頭に、自らをサムライにたとえる輩にろくなやつはいないと思っている私だが、この狂言師もやっぱりろくなやつじゃなかった。覚えといてよ、挨拶もせずにお髪をなおしに行ったこいつの性格。このあともっとすごい無礼さが出てきますんで。

 不快なやつではあったのだが、インタビューそのものはとても面白いものだった。これはほんと。私も能や狂言、歌舞伎を観るのは好きだし、知らない世界を知るのは楽しいことだ。彼の性格はさておき、私なりに満足のいく取材はできたと思っていた。

 問題は、私がそれを記事にまとめたときのことだ。

 その編集部では、原稿に本人のチェックを入れる方針を取っていた。内容の確認はもちろんだが、専門用語とか表記に間違いがないようにするためで、企業などを取材すると、まずもって広報部からは事前に原稿を見せてくれと言われる。

 私は見られて困るようなものを書いたつもりはないので、どうぞ、と披露するが、ときおり、ここを削ってくれ、ここをこう書き直してくれ、とコマーシャルコピーのような文言(私にはとても恥ずかしくて書けない歯の浮くような美辞麗句)や新商品をずらりと加筆して返してくる広報部もある。商売熱心なのはわかりますが、そういうのはたいがい無視しちゃいます。広告料をもらってるわけじゃないんだし。ついでながら、大手にかぎってそういう露骨なことはしないものです。

 政治家を筆頭に、不祥事を取り上げるような場合だと、事前に記事を見せることはまずしないが、必ず取材段階で質問状を送るなりし、それでも取材拒否となれば、周辺取材をし裏をとったうえで、次週こういう記事が載ります、とあらかじめ通達はする。取材は拒否しておきながら、記事になると知って慌てて出版差し止め請求をするような情けない政治家はたくさんいますが。

 芸能人のスキャンダルだってそうですよ。一応、お知らせはするんです。辻斬りのお侍さんじゃないんだから、後ろからばっさり斬るような卑怯な真似はしません。一般の方はそのあたりを大きく誤解されているみたいですが。

 自らをサムライにたとえた狂言師にも原稿は事前に見せるという約束をしていたし、私も見られて困るようなものを書いたつもりもないので、どうぞ、とマネージャーさんだか付き人さんに原稿をファックスしたのだが(当時はまだファックスで原稿のやり取りをしていました。何しろ10年ちょっと前のこと)、翌日、本人の手が入った原稿がファックスで返信されてきた。当時はまだファックスで原稿のやり取りをしていました。何しろ10年ちょっと前のこと。

 すると、原稿のほぼ中央に、クレヨンで書いたかと思われるような太字で線が引いてあり、余白の部分には自らをサムライにたとえた狂言師の、非常に乱れた直筆の文字でこんな添え書きが書かれていた。

『言ってもいないことを書くな、バカ』

 ほほぉ、言ってくれますな――、などと悠長に構えているほど私も暢気ではない。

 ほほぉ、言ってくれるじゃないか、とすぐさま自らをサムライにたとえた狂言師のマネージャーさんだが付き人さんに電話を入れた。不思議なもので、人間というのは本当に頭にくると、何故か冷静になれるものだ。

 自らをサムライにたとえた狂言師のマネージャーさんだか付き人さんが電話口に出る。

 2点ほどお伺いしたいんですが、と私。こういうときの口調は慇懃ですよ、私。

「まず、この“バカ”ですが、どういう意味なんでしょう?」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080501/154823/?P=2

9:サムライとだけは言われたくない
2008年5月2日 金曜日 降旗 学
サムライ  武士  侍  世襲   ここで、もし、このマネージャーさんだか付き人さんだかが、バカというのは愚か者とか阿呆という意味ですが、ご存知ありませんでしたか、というような受け答えをしたら、私などは、さすが付き人とはいえ主は中世でいうところのお笑い芸人、参りました、とシャッポを脱いで矛を収めただろう。だが、残念ながら、中世でいうところのお笑い芸人の付き人をしていながら、この方にはユーモアのセンスはなかったようだ。感覚としては、バカ……、もとい、若殿の近習か何かのつもりなのだろう。

 私は、このマネージャーさんだが付き人さんにも腹を立てていた。
 たとえ主が“バカ”と書いたとはいえ、これをそのまま送りつける神経に、である。

 礼節の問題である。大人の社会常識でもある。そんなことは子供でもわかる。もしかしたら、主に、このまま送れ、と命じられていたのかもしれない。主の言いつけに逆らえないとしても、あまりにも配慮というものがなさすぎる。

 実を言うと、バカと書かれたことがいちばんの問題ではない。カチンとはきましたがね。ふつうの社会では生きていけないやつらなんだ、と思えば激昂するほどのことではない。問題は、もうひとつのほう――。

「この、言ってもいないこと、ですが、どういう意味なのか、ご説明いただけませんか」

 自らをサムライにたとえた狂言師が“言ってもいないこと”というのは、私が原稿に書いたことだ。彼は子供のころから父親に稽古をつけてもらっていたが、覚えが悪かったり型を間違えたときはすぐに父親の手が出たそうだ。ときには扇子が飛んでくるようなこともあったらしい。小学3年生とか4年生のころの話だったと思う。

 その話を聞いたとき、いけ好かないやつだとは思いながらも、やっぱり芸の道というのは厳しい世界なのだな、と素直に感心し、私は、彼の“言ったとおり”のことを書いた。彼のことはいけ好かないやつだとは思いながらも、ちょっと見直してもいた。

 私は取材内容をすべて録音していた。それを全部おこしたうえで原稿にしている。言ってないわけがないのだ。刷り出したデータにも書いてあるし、テープを聞き返せばすぐにわかることだ。それとも、私が幻聴でも聞いたか。

「わかりました。では、ここに取材を録音したテープがありますから、これから持参いたします。担当編集者にも来てもらいます。××さんにもお越しいただきたいのですが、よろしいですか」

 伏せ字には、もちろんこの狂言師の名前が入ります。

 すると、マネージャーさんだか付き人さんは、いや、今日はちょっととか予定がどうのこうのとごにょごにょ言う。

「でしたら、いつがよろしいでしょう。私はいつでも構いません。ご都合のいい日時をご指定ください、その時間に伺います」

 なぁに、お手間は取らせません。再生ボタンを押せば、すぐにその部分が出るようにしておきますから、というようなことを私は言ったはずだ。マネージャーさんだか付き人さんもつらいだろうな、こっちの手許にはこれ以上ないくらいの証拠が残ってるんだから。

 そこでだめ押し。

「いいですか、これだけははっきり言っておきます。もし、××さんの言われるとおり、私が言ってもいないことを書いて迷惑をおかけしたのであれば、土下座でも何でもします。ですが――」

 こういうときは、ここで間をおくのが肝要だ。

 自らをサムライにたとえた彼も、狂言には間が大事だと言っていた。背中に桜吹雪でも彫ってあったら絵になっただろうな。おぅおぅおぅ、この桜吹雪が目に入らねえか、とか言っちゃって。天地がひっくり返っても、親からもらった大事な身体に彫り物なんか入れられませんけどね。ちなみに、遠山の金さんが背中に彫っていたのは髑髏(されこうべ)の図柄だったとのことです。

「私の言っていることが正しかった場合、たとえ人間国宝のご子息でも謝罪は要求しますよ。これは、私の仕事に対する侮辱だからです。これだけはご本人にお伝えください」

 で、いつ伺ったらよろしいでしょう、などと猫なで声に切り換える私。

 こういうことを書くから、私は読者にクレーマーだと決めつけられる。だが、侮辱されて黙っているほど私はお人好しではない。ついでに言えば、私怨でこの原稿を書いているのでもない。こういうことまで書かないとわからない読者もいるようなので。

 結果として、この件は編集者が真ん中に入って“手打ち”となった。

 彼が父親の厳しい指導を受けたという数行を割愛し、別のエピソードを書き加えることで最終原稿とした。自らをサムライにたとえた狂言師本人はもちろん、マネージャーさんだか付き人さんからもその後の連絡はなかったが。私が電話口で伝えたことも、おそらくは本人の耳に入っていないだろう。

 ――という出来事を踏まえて、ここである歌舞伎役者の話をしよう。

 これから本題に入るわけではありません。締めのくだりです。自らをサムライにたとえる狂言師に“河原乞食”と揶揄された梨園のお話です。

 この歌舞伎役者の名前は出してもいいだろう。市川染五郎という青年です。松本幸四郎のご子息で、女優、松たか子の兄。

 彼のインタビューも、自らをサムライにたとえた狂言師と同じシリーズでやったものだった。ちょうどいまごろと同じ、風薫る季節のことだ。そのとき、彼は、大阪の道頓堀にあった中座(いまはありません)に出演中で、インタビューは昼の部の公演を終えたあとに行われた。

 日のあるうちにトビラに使う写真を撮っておこうということになり、道頓堀と戎橋で私たちは撮影に臨んだ。すぐに人だかりができる。私と編集者で交通整理のようなことをやっていたのだが、気がつくと市川染五郎本人も通行人に頭をさげていた。

「すみません、ご通行の邪魔をして。すぐに終わりますから」

 本来なら、彼はファインダーに向かってポーズをとっていればいいのだ。
 その彼が通行人に頭をさげる姿に私は感動していた。彼は、それほどの好青年だった。

 それだけではない。取材は彼がよく休憩で使うという喫茶店でやる予定だったが、あいにくとその店では撮影の許可がおりなかった。インタビューカットも必要だったのである。やむなく他の喫茶店を探したが、なかなかいい店がない。おまけに、私も同行の編集者もカメラマンも大阪の地理には不案内ときている。機転のきかないぼんくら揃いなのである。

「そういえば、この前、××さんと一緒に入ったお店があったな。あそこだったら雰囲気もいいですよ。ちょっと歩きますけど、ぼく、先に行ってそこで取材できるかどうか訊いてきます。ここを真っ直ぐ行って、二つめの交差点を右に入ったとこだったと思うんで、ゆっくり歩いてきてください」

 そう言い残すなり、彼はもう駆け出していた。

 慌ててあとを追ったが、重い機材を担いだカメラマンが追いつかない。カメラマンというのは頑固なやつが多く、こういうときでも機材を他人に預けようとない。何故なら、カメラは彼らの商売道具であり、命だからだ。

 結局、私たちが追いついたとき、彼はもうお店との交渉を済ませていた。

「ゆっくりでよかったのに……、あ、ここ、撮影してもいいですって」

 ぼんくらなライターとぼんくらな編集者と頑固なカメラマンは、本来なら私たちがやらなければならないことまで彼に押しつけてしまった。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080501/154823/?P=3
9:サムライとだけは言われたくない
2008年5月2日 金曜日 降旗 学
サムライ  武士  侍  世襲   それほど多くはないが、私もそれなりに芸能人は取材してきた。横柄だったり、テレビで見るのとはずいぶん態度が違うなと思うような人のほうが多かったが、彼のような芸能人は初めてだ。自らをサムライにたとえ、歌舞伎役者を“河原乞食”と呼んだあの狂言師とも違う。

 河原乞食とは、もともと歌舞伎役者を蔑んでいう言葉ではある。広辞苑にもそう書いてある。だから、あの狂言師の物言いは日本語として誤りではない。だが、分別あるはずの大人が、人を蔑む言葉をもろに使うのは人としてのたしなみに欠ける。思いやりに欠ける。人間性の問題だ。お里が知れます。

 それがどこからくるかと言えば、バカ……、もとい特権意識丸出しの驕りや思い上がりからだ。狂言こそが伝統芸能であり、歌舞伎もまた立派な伝統芸能のひとつであるというところにまで考えが及んでいないのだろう。他人を敬えないのだ。いるんだな、そういう不幸なやつ。

 もしかしたら、あの狂言師の頭の中には、まだ“貴賎”の概念が息づいているのかもしれない。そうでなければ、自らをサムライになどたとえられるわけがない。無名のライターが書いた原稿に、平然と“バカ”と書けるのも、おそらくはそういうことなのだ。

 仕事に貴賎はない。どんな仕事にも、崇め、尊び、払うべき敬意というものがある。

 人の仕事を尊重できないやつが、どんなに見事に中世のコメディを演じようと、そこに心がこもっているはずがない。ビジネスも同じだ。どんなに業績を伸ばそうが、人を敬えず、他人の仕事を認められないやつに、周囲がついていくわけがない。その人には、“人望”というとても大切な武器と魅力がないからだ。

 人を動かす力というのは、権柄尽くでモノを言うことでも命令することでもない。自らが動いて、初めて人を動かせるのだ。自分は動くことなく、ただ威張り散らすだけのやつを暗愚という。他人の気持ちに思いを馳せることのできないやつだ。世襲や保証された身分に胡座をかき、他人を見下すやつを夜郎自大という。バカ……、もとい、特権意識丸出しで、何をやっても許されると思っているやつのことだ。

 自らをサムライにたとえた狂言師と、その狂言師に“河原乞食”と蔑まれた歌舞伎役者の2人がとった態度や行動から、私たちは、人としてどうあるべきかを学ぶヒントが大いにある。と私は思っている。

 どちらになりたいかと訊かれたら、私なら間違いなく威張り散らすほう……、じゃなくて、偉くなっても率先して動ける人間を選びたい。部下や後輩ができれば、上の者は自らを規範に示さなければならないからだ。後輩とドトールコーヒーなんかに行くと、金を渡して、ぼくコーヒーね、などと平気で言っちゃいますけど。でも、これは意味が違う。

 偉くなっても、人を見下しちゃいけない。

 偉くなくても、人を見下すのはいけない。礼節や人の仕事を敬う気持ちを忘れちゃいけない。収入が増えたら後輩に奢るのはいいけれど、驕ってはいけない。驕りは人品を卑しめる。“天狗のおじちゃん”は演じても、天狗になっちゃダメだ。

*   *   *

 ついでながらに申しあげておけば、私は“お豆腐主義”を謳う茂山一家のファンです。

 茂山一家は、乞われれば、ところ厭わず町の公民館でも体育館でも狂言を演じました。

 能楽堂以外の場所で演じる彼らは、ご同業の狂言師たちから「豆腐屋みたいなやつらだ。呼ばれればどこへもほいほい出向く」と陰口をたたかれました。どんなやつらが口にしていたかは申しません。お豆腐屋さんという職業をバカにしているやつらです。自らをサムライにたとえたりするから、そんな考えになってしまいます。

 しかし、“豆腐屋”と揶揄された茂山一家はそれを逆手に取り、一家のスタイルを“お豆腐主義”と名づけました。お豆腐屋さんだから、彼らは声がかかればどこへでも出向きます。もちろん、予算交渉等はあるでしょうけど。

 日本の伝統芸能を広めるために海外で公演される狂言師も立派ですが、爺ちゃん婆ちゃんを相手に田舎の公民館で狂言を披露する茂山一家のプロ根性を、私は見習いたいと思っているのです。だって、人間国宝が惜しげもなく町の公民館で演じていたのですもの。

 ついでのついでに繰り返し書き記しますが、私は私怨なんぞでこの原稿を書いたわけではありません。お侍さんが嫌いな性分ゆえ、自らをサムライにたとえるやつにろくなやつはいないとは思っておりますが。

 あくまで、一例として態度と行動が好対照だった2人を取り上げたまでです。あくまで、10年前の話ですが。
 ここまで書かないとご理解いただけない読者もいるようなので。

(文中敬称略)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080501/154823/?P=4





資料 ノーベル賞の政治的意味

ノーベル賞を勘違いした日本人
情報の生活習慣病を考える

* 2008年12月2日 火曜日
* 伊東 乾

ノーベル賞  元厚生事務次官殺傷事件  生活習慣病  湯川秀樹  土山秀夫  長崎原爆  戦時科学実験 

 元厚生事務次官連続殺傷事件の犯人とされる、小泉毅容疑者の自首と自供が論議を呼んでいます。そもそもこうした犯行自体、あってはならないものですが、さらに34年前に保健所で殺処分された「家族」である飼い犬の仇討ち、という自供が「犯行動機として弱い」とされているようです。

 でも、果たしてそうなのでしょうか? 私はどうしても別の背景を考えてしまいます。それは「情報の生活習慣病」としての「セルフ・マインドコントロール」そして「個人カルトの先鋭化」への一般的な懸念です。

「異常な事件の異常さ」をきちんと考える

 警察、検察はもとより、厚生労働大臣の舛添要一さんなどもどうしても、事件を合理的に理解しようとしているようです。彼の職位としてはその立場は堅持されるべきでしょう。しかし「犬の仇討ち」で私が最初に想起したのは「地下鉄サリン事件」に代表されるオウム真理教事件であり、大阪教育大学付属池田小学校で児童らを殺傷してスピード処刑されてしまった宅間守のことでした。

 合理的に考えれば「犬の仇討ち」などあり得ないでしょう。事件が起きた直後、報道も世論も年金問題に起因するテロとの見方を強めていましたが、小泉容疑者がマスコミ各社の掲示板等に書き込んだとされる犯行声明は、自分の行動を「決起」と表現して「年金テロ」を正面から否定するものでした。

 犯行に背景があると考える向きもあるようですが、もしプロの暗殺者なら家族などには危害を加えないだろうし、逆に組織強盗などの皆殺しでは、血のついた靴跡などは絶対に残さない。今回の事件を「常軌」だけで捉えようとすると無理があります。では「常軌を逸した」で片付けてしまうなら、ちょうど数を数えるのに「1、2、3…あとはたくさん」と投げ出してしまうのと同様で、類似事件の再犯防止に役立ちません。というより私個人は池田小事件の事なかれ式スピード処刑が、今回の事件を準備した面があると思っています。

 明らかに異常な事件です。だからこそ「異常」の一言で片付けるのではなく、手堅い理性で「異常さ」そのものを考える必要があります。

 犯行声明はまた<日本警察の捜査能力に疑問>として、自分の利き手や靴など証拠に関する具体的な事項を書き並べました。これから間違いなく「責任能力」を問うことができますから、弁護側は「犯行時、心身喪失状態にあった」とは主張しにくいでしょうし、立件を考えるうえで検察庁にとって有利な情報でもあるでしょう。

 様々な挫折によって社会的に行き詰まりながら、得意なコンピューターの知識を生かし、ネット株取引で生計を立てようと考えていた(殆ど利益はあがらなかったらしいですが)小泉容疑者が、何らかの事情で数百万円の借金を抱え、自暴自棄になり、やはり得意な情報検索の技術を駆使して元次官の住所など個人情報を調べ上げて今回の犯行に及んだ、というのが現在のところ、大方の見方となっているようです。

「犬の仇討ち」確信はいかに形成されたか

 まだあまり指摘されていないようですが、私が気になったのは出頭直前に小泉容疑者がかけた「父親への電話」と、そこで予告された「両親への手紙」です。ほとんど何も語らなかった電話は、少なくとも息子と親との紐帯を示しているでしょう。そして手紙には「犬の仇討ち」が記されていたと言います。

 報道を見る限り、34年前に小泉容疑者になついていた野良犬を保健所に持ち込んだのは容疑者の親であって、保健所は決められた業務を行ったのに過ぎません。さらに「動物管理」は環境省と自治体の管轄で厚生次官は関係がない。ネット株取引で利益を上げられなかった小泉容疑者は、捜査関係者に管轄が違うと言われて「えっ?」と絶句したそうですが、綿密な個人情報も調べられる彼が最終的にその短絡を理解できないはずはありません。

 意識のどこかが凝り固まって、完全に視野狭窄にはまり込んでいたことが、こうした傍証からもよく分かるように思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081201/178731/
 でもそこで、見たくないものは見ないようにし、現実を直視せず、目をつぶったまま「決起」と称して、自分の破壊的行動を正当化するところに、かつてフロイトの言った「エディプス・コンプレックス」ではありませんが、父親や父権、あるいは社会的な力への容疑者の屈折が見えるように思われるのです。私がそう思うのは、オウム真理教事犯の多くの被告が、家庭内の問題や進路への疑問などから「カルト宗教」という別の正義に走っていったケースをいろいろ見たからかもしれませんが、検討されてよい一面だと思います。

 現実世界に、ある「取り返しのつかない絶望」を感じる時、人の脳は「別の正義」を求めるようになります。「水子地蔵」などをきっかけに、霊感商法がトラウマを持つ人に食い込んでゆくのは、この脳認知プロセスを悪用するものです。オウム事件ではこれが「宗教」の形を取って共有化されましたが、宅間守や今回の小泉容疑者のケースでは、個人レベルで「確信」が形成されているのが違うところです。さらに小泉容疑者の場合、生活のほとんどすべてがインターネットなどの情報環境に占有されることで、ヴァーチャルに作り出した自分の価値観の世界の中で、別の正義を報じる「個人カルト」となっていた可能性が高いと思われます。

情報生活習慣病とセルフ・マインドコントロール

 自分が身の回りに張り巡らしたヴァーチャル・リアリティーの牙城で、容疑者は自分自身を正当化する「セルフ・マインドコントロール」の個人カルトを作り出す情報生活習慣病状態にあったことが、強く疑われるのです。そうでなければ犯行声明にある、

 <私はマモノ(元官僚)1匹とザコ(マモノと共生しているやつら)1匹を殺したが、やつらは今も毎年、何の罪の無い50万頭ものペットを殺し続けている。無駄な殺生はするな!!!  無駄な殺生をすれば、それは自分に返ってくると思え!>

 などという表現を理解することはできません。そもそも「無駄な殺生」とは、山口元次官夫妻など今回の事件の被害者にこそ向けられるべき言葉ですが、その矛盾に完全に開き直っているのは、一種の宗教的確信に基づいて自らの正義を信じているケースの特徴に他なりません。

 現在ちょうど、この連載のテーマ「情報の環境問題」と重なる問題を、脳認知の観点から「情報の生活習慣病」として捉え直す書籍を書き上げた所なのですが、このような事件の報道に接し、ことさらに思うのは「異常さ」を正気で理解することの重要性です。

 ちなみにこの小泉容疑者のようなケースは来年5月以後、間違いなく「裁判員裁判」の対象となるはずですが、この事件も2泊3日のスピード裁判で重要な一審を結審してしまうつもりなのでしょうか? それこそ正気の沙汰とは思えません。もし日本の司法権が、再発防止に誠意をもって取り組む正常な用意があるのなら、科学的に信頼の置ける原因究明とともに、何よりもこの小泉容疑者の「セルフ・マインドコントロール」を解き、被害者に心底からの謝罪をさせてから刑罰を確定しない限り、何一つ司法として意味あるけじめをつけることはできないと思います。

ノーベル賞を勘違いした日本人

 元厚生次官連続殺傷事件のようなケースとは全く違うレベルですが、情報の生活習慣による勘違いや誤解の蔓延は、決して私たちの身の回りに珍しいことではありません。

 とりわけ、科学技術の観点から見る時、日本社会には様々な誤謬が広まっています。上にも挙げたオウム真理教では、科学とカルト宗教の混在が「毒ガステロ」という最悪の行動を引き起こさせています。科学技術は一面「力」でもありますから、そうした浅い誤解は極めて危なっかしいものだと私は思います。日本にノーベル賞が来た、とお祭り騒ぎをする、同じ国民が「オーラがどうした」とか「前世がどうたら」というテレビ番組で視聴率が上がり、毒舌占い師や霊界タレントの本が売れてしまう。そういう日本社会の現状は、とても危ういものだと思っています。

 そもそも第2次世界大戦直後の1949(昭和24)年、湯川秀樹博士にノーベル物理学賞が来た時、日本社会がその価値や意味を大きく勘違いしたことが、日本国内での「ノーベル賞のイメージ」を、大きくおかしなものにしてしまいました。

 湯川さんへのノーベル賞は、いまだ焼け野原が広がる日本に「明るいニュース」としてもたらされました。

 当時の新聞を見てみると「日本人で最初の栄誉」「世界に輝く中間子論」といった活字が躍っています。

 敗戦で打ちひしがれていた日本が、戦争では負けたけれど科学では世界に認められたと、「ノーベル賞」=「科学の世界最高峰」と短絡してしまい、業績の内容や受賞の意味などを理解しないまま、お祭りと奉ることに慣れてしまったからです。

 以前、大学1年生たちに「湯川博士を知っているか」と尋ねたことがありました。100%「知っている」と答えます。そこで

 「どういう業績で受賞したのか?」と尋ねると「中間子」という言葉が出てくる学生が2割程度、8割は中身を知らずに「偉い人」としてのみ名前を知っているだけでした。そこでさらに

 「では中間子論とは何か?」と尋ねると、何とか説明になる学生は100人に2、3人まで減ってしまいました。そこで、ここでは難しい詳細には踏み込みませんが、まず湯川博士の業績がどういうものだったのか、というところから考えてみたいと思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081201/178731/?P=2
原子核物理学者、湯川英樹

 ノーベル財団のホームページで湯川博士の業績を見ると

 「核力の基礎的な理論的業績に基づく、中間子の存在を予言したことに対して」ノーベル物理学賞を授賞したと書かれています。しかし21世紀の多くの大学生は、後年、平和運動にも尽力した湯川博士が「核」の科学者、それも最もポイントとなる理論を作ったキーパーソンだということを、ほとんど知りません。

 湯川博士は1935(昭和10)年、原子核を構成する陽子や中性子が電磁気的な反発力を超えて「強く」結びつくメカニズムを、世界で最初に説明するモデルを提出して、ただちに各国の物理学者の注目を集めました。3年後の1938年、ナチス政権下のドイツでカイザー・ヴィルヘルム研究所長を務めていたオットー・ハーンが、「ウラン235」を用いて核分裂反応を起こすことに成功します。そこで、今まで空想のように思われていた「原子爆弾」がにわかに現実味を帯び始めました。

 ドイツが核分裂に成功したこの年のノーべル物理学賞は、イタリアの万能物理学者、エンリコ・フェルミに与えられました。フェルミは12月にストックホルムで開かれた授賞式に出席しますが、そのままムッソリーニ政権下のイタリアには戻らず、米国に亡命してしまいます。フェルミの奥さんがユダヤ人だったからです。この亡命は歴史を大きく変えました。

 38年の時点で、世界で最も核科学が進んでいた国は、イギリス、フランスなどと並んでオットー・ハーンのドイツ、エンリコ・フェルミのイタリア、そして理論家として核力に先鞭をつけた日本でした…お気づきでしょうか。これは日・独・伊という、第2次世界大戦で負けた「枢軸国」の中心3国です。この翌年、ドイツがポーランドに侵入して第2次世界大戦が始まり、2年後の真珠湾攻撃から太平洋地域にも戦火が広がります。

 ハンガリーから米国に亡命していた若い物理学者レオ・シラード、ユージン・ウィグナー、エドワード・テラーの3人は、ヒトラーのお膝元で核分裂が成功した事実に驚愕します。そして39年、やはりナチスの惨禍を避けて亡命していたアインシュタインに署名してもらい、ルーズベルト大統領宛に原爆開発を勧める手紙を送ります。

 ほどなく41年から原子爆弾開発の「マンハッタン計画」がスタートし、イタリアから亡命したフェルミが中心的な役割を果たしました。第2次世界大戦が米国の日本への原子爆弾投下で終わるのは1945年8月、この間たった4年ほどのことです。

日本への原爆投下を巡る攻防

 当初はドイツ向けの使用を念頭に開発された原子爆弾は、45年3月の調査でナチスが原爆製造に成功していないと分かり、5月に欧州で停戦が成立すると、日本向けの使用が検討され始めます。

 米国で原爆開発に関係した科学者は、無思慮な日本への原爆投下を牽制するよう運動を始めました。6月にはドイツから亡命したユダヤ系物理学者ジェームズ・フランク(25年のノーベル物理学賞)らが原爆の使用をけん制する「フランク・レポート」が大統領の諮問機関に提出されます。しかしそれが採択されることはありませんでした。このフランク・レポートには原爆の提案者シラードも名を連ねています。7月に最初の原爆実験に成功すると、トルーマン民主党政権はこの新型兵器を早々に実戦投入することを決定します。

 さらにここからが極めて問題なのですが、原爆の破壊力の確認と、事後への威嚇の意味なども含め、原子爆弾は戦闘の最前線でなく、非戦闘員が普通に生活している都市に投下するという判断が下されます。それが広島であり長崎でした。後に共和党大統領となるアイゼンハワーやマッカーサーなど、米軍内部にも猛烈な反対もありました。

 しかし、すでに大戦後を見越して、とりわけスターリン体制のソ連への「抑止力」として原爆を利用するアイデアを、トルーマン政権は実行に移してしまいます。あろうことか原子爆弾は、核力のメカニズムを最初に明らかにした湯川博士の国、日本に「実験投下」されました。普通の暮らしをしていた数十万の非戦闘員が一瞬にして命を失い、生き残った人々は、長く放射能障害に苦しむことになってしまいました。こうした永続する2次被害は、物理学者はもとより、政治家や軍人も全く考えていませんでした。

償いとしての湯川博士への授賞

 49年、湯川博士にノーベル物理学賞が授与された背景には、ノーベル物理学賞の選考委員でもある「マンハッタン計画」に責任を持った多くの物理学者たちの明確な「後悔」と「謝罪」の念が込められています。

 学術的な流れだけで考えるなら、湯川博士の受賞は戦後の1947年、イギリスのセシル・パウエルが湯川博士の予言したπ中間子を発見したことが契機となったとされています。

 実際49年に湯川博士、50年にパウエルがノーベル賞を受賞しており、公開されたノーベル賞の推薦文書や選考経緯なども科学的に厳密な話だけで説明がつくように見えます。しかしノーベル賞には、この個別審査以前に「企画段階」というべきレベルが存在しています。湯川博士への単独授賞は、明確に「原爆投下への謝罪の意を込めて、日本科学を世界第一線のものと承認するセレモニー」としても企画されたものだと考えられます。

 強調しておきますが、これは湯川博士の業績をいささかも低めるものではありません。しかし湯川博士以前、明らかに超ノーベル賞級の業績を挙げながら、評価されなかった日本人科学者もたくさんいるのです。そもそも第1回ノーベル医学・生理学賞を受賞したベーリングの業績は、研究室のリーダーだった北里柴三郎博士の仕事のごく一部に過ぎません。業績の価値とノーベル賞が持つ政治的な意味合いは、けじめを付けて考えるべきものです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081201/178731/?P=3
「マンハッタン計画」科学者を封印するノーベル賞

 湯川博士の受賞後、米国で原爆開発の「マンハッタン計画」に関わった科学者へのノーベル賞授与は、10年にわたって封印されてしまいます。ちょうどこの時期は、米ソの水爆開発競争が最も熾烈を極めた時期でした。

 広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という銘文が記されていますが、これと同じメッセージが、欧米先進国の物理学界の創意として、湯川博士への授賞には込められています。

 「2度とこんな過ちは繰り返しません。どうか日本人の皆さん、そして日本人科学者の皆さん、私たちが力を合わせて開発した原子爆弾が、軍部の暴走によってあなたたちの国に投下されてしまったことを、許してください。

 原爆を投下したのはトルーマン司令官以下の米軍ですが、この兵器を作ったのは私たち科学者です。科学者は、自分たちが作ってしまった兵器という鬼子にも、きちんと責任を取らねばなりません。この謝罪の気持ちを込めて、私たちは日本の科学が世界第一流の水準にあることを承認します。どうか私たちの罪を許してください。2度と過ちは繰り返しませんから」 

 こうした気持ちは必ずしも公式文書では伝えられません。当時日本はまだ進駐軍が占領中、まだ講和条約が調印される以前で、政治的メッセージは出せませんでした。しかし、原爆開発に関わった大半の科学者は、自分たちの作ってしまったものと、それが与えた甚大な被害に深く反省し、来日のたび原爆投下への遺憾と謝罪を繰り返しています。

「原爆以後」の物理学者たち

 今私がこうやって強調しなければ通じないほど、21世紀の日本社会では湯川博士へのノーベル賞と原爆との関連は、結びつけられなくなってしまいました。

 原爆開発を勧める手紙に署名したアインシュタインは、広島投下の報を聞いて絶句して二言目が出てきませんでした。戦後は「原子科学者緊急委員会」の委員長を皮切りに最晩年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」まで核兵器廃絶を訴えて奔走しています。

 原爆開発を進言したレオ・シラード博士に至っては、広島への投下にショックを受け、物理学の研究自体をやめてしまいます。彼は勃興しつつあった分子生物学に転向し、国際的な平和運動に駆け回ります。もう破壊と殺戮はするまい、むしろ生きるために物理の強い力を使おう、と考えたのです。

 何より湯川博士自身がこうしたメッセージを最も強く認識していました。55年には日本国内で「世界平和アピール7人委員会」を設立、57年にはアインシュタインの遺言のような「パグウォッシュ会議」にシラード博士、朝永博士らとともに名を連ね、生涯一貫して核の危険性と平和の重要性を訴え続けられました。中間子論以来の湯川博士の共同研究者、武谷三男博士も、晩年まで国際的な平和運動に尽力しています。

 放射能の2次被害が永続する核の問題は、短期的な政治のパワーバランスで考えるような問題ではありません。本当に人類を滅亡させる威力を持った兵器です。世界の科学者の圧倒的多数も、同様に考えています。また大変残念なことですが、大学に勤めるようになり国際会議などの場で、21世紀の日本の責任ある立場の科学者で、こうした問題に全く旗色不鮮明な人が少なくないという現実も知るようになりました。

戦時科学実験としての長崎原爆投下

 百歩譲って、広島への原爆投下がソ連軍の北海道・本州上陸への牽制の意味があったとしても、長崎への原爆投下には戦略的な意味は一切存在しません。長崎で行われたのは、綿密に計画された軍事科学上の実験だったからです。

 広島に投下されたのは「ウラン型」でしたが、より扱いやすい「プルトニウム型」の原爆を、広島と同様「やはり人々が生活する、似たような海辺の都市」に投下して、破壊力を比較する、軍事科学の「対照実験」であったことが明らかになっています。

 米軍は広島・長崎への原爆投下に先立って、通称「パンプキン爆弾」と呼ばれる「模擬原爆」を日本に大量投下しているのです。

 「パンプキン」は長崎原爆「ファットマン」と同じ躯体にTNT火薬を詰めた1万ポンド軽筒型爆弾で「模擬」といっても本物の殺傷兵器です。

 原爆による「都市破壊力」を「正確に測定」するために、パンプキンの投下では原爆の想定攻撃目標地は避けられました。この投下によって何千、何万という人が命を失い、家屋を焼かれ、その破壊効力自体を米軍は「基礎データ」として積み上げました。

 実際の原爆は、まず広島に「リトルボーイ」を落とし、次に「パンプキン」で比較データを大量に集めた「ファットマン」を長崎に落としたのです。こうして、日本と日本人を実験台に、マンハッタン計画の最終段階として「原子爆弾の破壊力」を「科学的に検証」する「投下作戦と評価」が遂行されました。

 原爆の直接犠牲者だけでも広島で推定14万人、長崎で8万人、被爆した人の総数は50万人にも達しますが、これに加えて「パンプキン爆弾」による死者など、軍事科学実験の犠牲者の総数は、もっと大きな数に上るのです。
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講和条約で発言できない日本政府

 こうした事実は日本国内ですら驚くほど知られていません。それにはいくつかの理由があると思います。1つは、先ほどお話ししたように、湯川博士のノーベル賞が、まだサンフランシスコ講和条約が結ばれる以前であったため、報道に限界があって、原爆を巡る政治的な問題は周知されず、ただただ「科学の最高権威から評価された」という「暗い世相に明るい話題」のお祭りに終始してしまったことで、これはいまだに尾を引いていると思います。

 当時はまだダグラス・マッカーサーが日本に進駐していた時期で、さらに水爆開発競争のさなかでもあったので、中間子論と核開発の密接な関連など、報道では触れることができなかったでしょう。この副作用の1つが「ノーベル賞は、業績は難しくてよく分からないけれど、要するに凄くてエライ」という現在に至る短絡を生んでいるように、私は怪しんでいます。初のノーベル賞は国民の科学常識をアップさせる絶好の機会でしたが、日本はそのタイミングを逸してしまいます。

 実は長崎への原爆投下が実験であったことは、私自身40歳を過ぎるまで知りませんでした。2005年8月、原爆投下60年の記念行事を主催したのですがその際、元長崎大学学長で、湯川、朝永両博士が創設メンバーである「世界平和アピール7人委員会」委員の土山秀夫先生から伺って、初めてきちんと認識できました。

 その後さらにパンプキン爆弾投下の事実が明らかになり「原爆破壊力の効果測定」という科学実験の側面がいよいよ明確になってきました。実はこの「原爆の実験性」も日本へのノーベル賞授与と大変に深い関係を持っています。後にお話ししましょう。

 もう1つの大きな理由は51年に結ばれたサンフランシスコ講和条約です。ここで日本は「賠償は役務賠償のみとして、米国に対するあらゆる請求権を放棄」することを約束しました。これによって日本「政府」は、公式には原爆についてほとんど一切、発言ができなくなってしまいました。

 政府のこの方針に釣られるようにして、国内マスコミも原爆に関する政治的な表現を一切自粛するようになります。毎年8月の原爆犠牲者慰霊行事でも、核の惨禍が天災のごとく描かれ、核の悲惨さと平和の大切さだけを訴え、その科学的背景や科学を含む国際政治の綱引きなどは、完全に視野の外に出てしまったのだと考えられます。さらに科学者までもが、政府方針と違う核に関する意見など下手に表明して、予算上不利になったりしないか、などといった理由にもならない理由を含め、こうした重要な問題を考えなくなってゆくのです。こうしたことが一番怖いと思います。
 
「ノーベル賞に隠された驚くべき背景」へ

 現実には、アインシュタインの「遺言」のようにして作られた「パグウォッシュ会議」の創設以来、湯川、朝永両教授が出席するなど、国際的な科学外交では日本は重要な役割を期待されています。自覚を持ったごく少数の科学者が志を継いでいますが、一般には全く伝わりません。

 実は外務省にも「役所としては何も言えないが、民間には縛りはないのだから、原爆投下の問題など大いに主張してほしい」という本音があるのです。パンプキン爆弾に関するテレビ番組なども作られるようになりました。

 世界の殆どすべての国が、そして科学機関が「唯一の被爆国日本」に対してものすごい神経を使っています。ところがいろいろな理由で、当の日本だけが、こうした配慮に全く鈍感という、非常に不思議な状態が起きているのです。その原点を考えると、どうしても日本社会が、湯川博士へのノーべル賞授賞を誤解した経緯に行き着いてしまうのです。

 前回コラムに読者の方から「田中耕一さんのノーベル賞の背景は?」というお問い合わせを頂きました。田中さん授賞の背景は、日本企業と企業人に、米国のIBMやGEなど、先進各国企業とその研究者の基礎研究への貢献を呼びかけ励ます「一般人代表」としての側面がある、と聞いていますが、これだけ単発的に申しても全体像が分かりにくいと思います。すでにお話しした南部、小林、益川各博士、また今回の湯川博士を含め、ノーベル賞を受けた日本人 15(16)人のすべての業績について、その意味と、背景に存在する驚くべき事実など、順次お話ししてゆきたいと思います。

(つづく)
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ノーベル賞選考のメカニズム
日本に寄せられる期待とは何か?

* 2008年11月26日 水曜日
* 伊東 乾

ノーベル賞  ルワンダ  ローズ・カブイエ  スティーヴン・ホーキング  逮捕  イノベーション  平和憲法  原爆  選考委員選考  下村脩  ドイツ  益川敏英  キャッチアップ  推薦状  科学技術  高官  ロバート・オッペンハイマー  ノーベル平和賞  南部陽一郎  小林誠  推薦者選考  多段階選考  フロントランナー  非対称性  フリーマン・ダイソン  エドワード・テラー  ゲーム理論  ジェノサイド  ジョン・ナッシュ  コア・コンピタンス  スウェーデン  水爆  湯川秀樹  宇宙開発  フランス 

 米国でオバマ次期政権の誕生が決まった直後の11月9日、ドイツを公用で訪問中だったルワンダ政府高官、ローズ・カブイエ儀典長はフランクフルト空港に到着したところで身柄を拘束されました。フランスの逮捕状を執行されたのです。11月20日にはドイツからフランス側に身柄を引き渡されました。

ドイツで逮捕されたルワンダ高官

 カブイエ儀典長はカガメ現ルワンダ共和国大統領の長年の副官で、亡命トゥチ勢力としてウガンダから攻め入った時期から参謀を務めてきた重要人物です。

 逮捕の容疑は、1994年4月、当時のハビャリマナ・ルワンダ共和国大統領とヌタリャミラ・ブルンジ共和国大統領を乗せた飛行機がキガリ空港近くで撃墜された暗殺事件に関与した、というものです。

 2006年に「これがきっかけになってジェノサイドが起きた」としてフランスでカガメ大統領を含む刑事告訴が行われ、ここでフランスのジャン・ルイ・ブリュグイエ判事による令状が執行されて、今回の逮捕となりました。

 言うまでもなくルワンダ共和国は、現在国連に加盟する国家として認められています。しかし、ウガンダからポール・カガメ大統領率いるルワンダ愛国戦線(FPR)が進攻した時点では国家の実権を掌握していませんでした。2006年にフランスで起こされた訴追は、この当時に遡る形で、ルワンダを国家と認めず、いわば「武装勢力扱い」するものでしたから、必然的にフランスとルワンダは国交を断絶することになります。

 当然ながらルワンダ政府は激しくこれに抗議しています。ルワンダ大使館の公式見解を紹介しておきましょう。

 フランスとの国交断絶後も、国連の潘基文事務総長や日本の緒方貞子さん、あるいはサッカーの中田英寿氏などもルワンダを訪問し、この5月横浜でのアフリカ開発会議(TICAD)にはカガメ大統領も来日して参加、日本はこの国の戦後復興に協力しています。

 またこの連載にも記したとおり、私も科学技術と教育を通じてこの国の戦後復興をサポートする1つのプロジェクトに責任を持っています。

フランスに巻き込まれたドイツ

 ルワンダではこの8月に、1994年のジェノサイドにフランス軍兵士が直接加担していたことを示すレポートを公表、次いで公教育でフランス語を廃止することが決定されました。ちょうど北京でオリンピックが開かれ、ロシアがグルジアに進攻し、ニコラ・サルコジ仏大統領の調停で停戦が成立しながら両国が国交を断絶した時期のことです。

 その後国際金融不安と米国大統領選挙があり、バラク・オバマ氏が圧勝した直後、サルコジ政権になってから初めて、非常に明確なルワンダへのアクションがあったわけです。

 今回はフランスがドイツに協力を求めてこの逮捕と身柄の引き渡しが起きていることが、とりわけ懸念されます。

 実はすでに今年の4月と11月初旬に、予定されていたカブイエ儀典長の訪問にはドイツから警告がなされていました。

 ドイツとしては、決してルワンダと国交を断絶したくありません。両国の間には緊密な連携があり、この2月にもホルスト・ケーラー独大統領がルワンダを訪問しています。11月12日 カガメ大統領は駐ルワンダ・独大使に48時間以内の国外退去を言い渡し、また駐独・ルワンダ大使の召還を決定しました。

 今回の身柄の拘束は、フランスからの強い要請により、欧州連合(EU)内のルールに従って行わざるを得なかったもので、ドイツとしては頭の痛いところなのです。

 また、ルワンダ側としても「われわれを国家と認めるか、否か」と問うような意味で訪問を敢行し、その後の処置を見守ろうという側面があります。当然ながらこの拘束はアフリカ連合(AU)に加盟するすべての国から非難を受けています。

「板ばさみ」になるか、調停者として働くか

 フランス、ドイツと来ると、気になるのは米国の反応です。ジョージ・ブッシュ末期/オバマ政権の米国がルワンダ問題にどのように反応するかは、世界のパワーバランスを考えるうえで、極めて重大な試金石になってしまいました。

 11月14日掲載の前々回の記事で私は、オバマ氏のルーツで、米国の(東)アフリカ政策の拠点であるケニアのナイロビ市内に掲げられた、独仏和合のプロモーション写真を貼付しておきました。その裏ではこうした動きが起きていたのです。

 正直、この問題は私自身にも非常に痛みが伴っています。一種の板ばさみの状況とも言えるからです。なんと言ってもドイツとフランスは、18歳での最初の留学以来、音楽家の私が最も長く関わってきた、自分にとって大切な国です。実は今、この原稿を打ち(20日)校正しているのも(25日)、欧州出張中でドイツ国内を移動しながらに他なりません。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081125/178209/
20世紀初頭の第1次世界大戦以後、ドイツは植民地を持たない国になりました。それから1世紀を経て、独仏が手を結ぶEUという単位で、旧植民地と旧宗主国との緊張に、微妙な形で巻き込まれる、なんとも歪んだパワーバランスになってしまいました。

 でも、こうした政府間の対立などと独立して、ルワンダなど途上国民衆への援助・救済、そして復興支援は一貫して行われるべきものだと私は考えており、その一端で私自身も仕事をしています。

 やはり植民地を持たない先進国として戦後60余年、国際経済をリードしてきた「日本国」の一員として、私は、長年の友人であるEUとも、またここ数年、新たに手を携えたアフリカとも、大切な関係を保っていきたいと考えています。自分の持ち場に関わる部分に関しては、双方に衝突を避けるよう働きかけながら、ローカルな調停者として教育・人材育成・イノベーションと国際協調の可能性を説いていかねばならないと思っています、

 ただこの問題は明確な経済的利害が存在しますので、安全な渡航が保障されない場合には、現地に行くことも難しくなる危険性があります。

 前回まで数回、自衛隊の問題などを記しました。とりわけ11月7日の回以後の記事は、再び激化しつつあるコンゴ東部での紛争や、今回のカブイエ氏の逮捕など、私の身近で動きつつある国際情勢を見ながら、日本の立ち位置を考えるつもりで書いたものでもあります。

 中立な先進国として日本が堅持すべき良識とは何か。ここでのキーワードも再び、教育・人材育成・イノベーションであり国際協調と経済発展と思っています。

 緒方貞子さんや私が、科学技術をカギにルワンダの復興に協力しているのは、直接的にEU(とりわけフランス)利権と対立しようとするものではなく、民衆に根ざした国際協調、復興支援の観点です。

 それが期せずして新冷戦体制の台風の目の1つになってしまった時、武力を含む日本の立ち位置を考えるうえでは、どうしても憲法まで遡る必要があります。場合によっては当然ながら国連PKO(平和維持活動)などの動きも念頭に置いて考えねばならないでしょう。そんな中で、自衛隊の位置、指揮系統、被爆国日本が擁する平和憲法の、日本人が十分に認識していない国際的な価値など、プロジェクトをご一緒している外交関係者を含め、広く一般の読者に読んでいただけるこの場で、現実的に論点を整理している次第でもあります。

 ちなみに読者の皆さんからコメントを頂戴するのは大変ありがたいのですが、特にここ数回、私が記す内容から完全に外れ、無関係な設定でお話を頂くものもあるようです。リアクション自体、貴重な参考にさせていただきますが、できればコラムの内容に沿ったコメントを頂ければ、お答えすることができると思います。

 ルワンダでの最新の動きに関しては、NHK衛星第一放送(BS1)BS世界のドキュメンタリー<シリーズ 和解への苦悩>“償い”への家造り~ルワンダ・集団殺戮からの模索~(11月27日(木)午後9:10~。再放送12月11日(木)午前10:10~11:00)で、このコラムでもご紹介した佐々木和之さんの現地での活動と合わせて放映があります。ご興味の方には、ぜひごらん頂ければと思います。

 なお、佐々木さんを始めとする民間スタッフやJICAの青年海外協力隊員たちは現地で尽力していますが、いまのところ日本の外務省ホームページはこの件に関して、アクティブな姿勢は打ち出していません。

国を国として認めさせる科学力

 軍事は1つの国を諸外国から認めさせる1つの要素ではありますが、国が国である必要条件にも十分条件にもなっていません。バチカンやリヒテンシュタインのように、スイス傭兵を安全保障に恃(たの)む国も存在します。

 これと比較する時、文化的な力は、どのような外圧に対しても「民族自決」などの正義を打ち立てるパワーとして機能することが改めて分かります。バチカンなどは最たるものでしょう。とりわけ科学技術の力は、軍事そのものの威力も保障し、さらに実体経済の成長まで担保する、現在の国際社会で、さしずめ「一国」の究極的な価値基準になっていると言っても、決して大げさではありません。上に挙げたスイスもリヒテンシュタインも、各種のコア・コンピタンスの旗を立てて、国を立ち上げています。

 日本は世界中の途上国をリードして、科学技術を通じての経済成長と共存、共栄を呼びかけるリーダー役を期待されており、大変に腰は重いですが、少しずつその任を果たし始めています。福田政権の下で5月に行われたTICADなど、ご記憶の方も多いでしょう。その「科学力」の1つの指標として「ノーベル賞受賞者の数」を考えることができます。

 2008年現在、日本国籍を持つ人でノーベル賞を受賞した人は合計で15人になりました。これに米国籍の南部陽一郎先生を勘定に入れて16人とすることもあります。この15~16人の時系列に沿った「分布」を調べると、あることに気がつきます。

 20世紀の間にノーベル賞を受けたのは湯川秀樹(1949)、朝永振一郎(1965)、江崎玲於奈(1973)、佐藤栄作(1974)、福井謙一 (1981)、大江健三郎(1994)の6氏で、1948年から1999年まで51年間で均せば8.5年に1人、つまり「およそ10年に1回出ればいいノーベル賞」でした。

 ところが2000年以降、とりわけ自然科学系で日本人のノーベル賞受賞が相次ぎます。白川秀樹(2000)、野依良治(2001)、小柴昌俊 (2002)、田中耕一(2002)そして2008年の(南部陽一郎)、小林誠、益川敏英、下村脩と、2000年以後の9年間で7~8人のノーベル賞受賞者が出ている。つまり「ほぼ毎年1人出る日本向けのノーベル賞」へと、劇的と言って全く大げさでない転換が起きているのです。
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自覚なきリーダー、ニッポン

 21世紀に入り「先進国集団」の意思と緊密につながった「ノーベル賞」が、日本に対して、かつての「10年に1度」から「ほぼ毎年」に受賞頻度を上げたことの背景には、内外を経済的にリードする日本に、国際的な基礎科学推進の土台を支える側に回ってほしいという、明瞭なメッセージが込められています。しかし、ここでの「リード」や、結果的に相当の責任を負っているという自覚が、日本国内では共有されていないと思います。

 技術革新の言葉で言うなら、21世紀初頭「キャッチアップ」から「フロントランナー」へ、というスローガンが連呼された時期があります。戦後一貫して米国という目標があり、それを追いかける中で、独自の工夫を凝らすことでコスト削減などを達成、競争力を持ってきた日本でしたが、米国が飽和し、これから緩やかな下降線をたどろうという「尾根」にあった2000年から、積極的に世界の科学技術のリーダーとして自覚を持って「予算を割き」「国を開き」(日本の「学術的鎖国」についてこれから数回にわたってお話しすることになります)国際的に「人材を育成し」「様々な調整役も買って出る」リーダーの役割を期待されているのです。

「ノーベル賞受賞者社会」

 288。何の数字と思われるでしょうか? これは2008年12月現在生存している、文理合わせたすべての「ノーベル賞受賞者」の人数です。これ以外に平和賞が「国際赤十字」「国境なき医師団」「アムネスティ」などの法人にも与えられ、これが23件ありますから「ノーベル賞を受けました」と言って活動できる個人や団体は、地球上に300以上存在しているわけです。

 そこで、生きているノーベル賞受賞者数を分野別に見てみましょう。物理学賞が最も多く、ついで医学・生理学賞、化学賞、経済学賞、平和賞と続いて、文学賞が最も少ないことが分かります。これは物理の業績が比較的若い時期に達成されるものが多いこと、医学・生理学賞の受賞者は長生きの人が多いこと、文学賞は高齢になってから与えられるのが多いことなどが理由でしょう。また、圧倒的多数が男性であることが分かります。

 文理で分けると理科系3賞の合計が198人。文科系3賞の合計が87人+23法人。賞ごとに見てみると文系は、

平和賞 30人(うち生存女性7人=23%)
文学賞 20人(うち生存女性5人=25%)
経済学賞 37人(うち女性0人、未だかつて女性受賞者なし)

で合計87人。文科系全体の女性比率は約13%。理科系は

物理学賞 79人(うち生存女性0人)
化学賞 53人(うち生存女性0人)
医学・生理学賞 69人(うち生存女性5人=7.2%)

で合計201人。理科全体の女性比率は約2.5%で、約97.5%は男性だと分かります。

 2008年現在、生き残っている日本人・日系人のノーベル賞受賞者は江崎、利根川、大江、白川、野依、田中、小柴、(南部)、小林、益川、下村の10(11)氏です。

 これでは天然記念物並みに希少な数で、すぐに神棚に奉ってしまう一因にもなっています。しかし世界に目を転じれば自然科学者だけで約200人、文系3賞で約100人、合わせて300人という数で、ハーバードやプリンストンなど1つの大学に3人4人とノーベル賞受賞者がいる所も少なくありません。世界では300人以上の「超ノーベル賞級」の人々が盛んに国際的活動をしているわけです。300人といえば、中学や高等学校の1学年分にも相当する人数で、ノーベル賞受賞者集団だけで1つの「社会」を形成することができます。中には様々な人がおり、意見の対立なども当然存在するので、いろいろなノーベル賞受賞者からホンネの話を聞くと、構図が分かって中々面白いものです。

選考委員候補としての受賞者

 この300人という数字はいろいろな意味を持ちます。一番分かりやすいのは、新しいノーベル賞受賞者を選ぶ「選考委員」がこの中から選ばれるということでしょう。これを理科系で分野別に見てみましょう。

 物理と医学・生理学がおのおの約70人、化学が少し少なくて約50人。これだけのノーベル賞受賞者の中から、毎年その年に授与する分野の方針に合う形で3~4人以内の選考委員が選ばれているはずです。選考委員は5人、そのうち委員長は多くのケースでノーベル賞受賞者以外のスウェーデン人科学者が就任しており、彼らは記者会見などで名前も顔も明かしています。しかし選考過程自体は厳密に秘密が守られて、誰が選考委員なのか、50年が経過して情報が開示されるまで分かりません。

 もし科学に責任を持って厳密な審査をしようと考えれば、選考過程はおのずから方法が限られてきます。公開されている情報によれば、ノーベル賞の企画部門は、毎年1分野について200~300以上、全部で3000通にも及ぶ「ノーベル賞にふさわしい候補者」の推薦アンケートを、世界の有識者に発送しているとのことです。この数は多いでしょうか、少ないでしょうか? ちょっと考えれば、大変に少ない数だと分かります。

 今世界の物理学者に300通のアンケートを取るとしましょう。国連加盟国は2008年現在192あります。もしすべての国に2通ずつ送ると、あっという間に300を超えてしまいます。では仮に科学者の多い米国や欧州、日本には2、3通出すことにするとします。日本に物理学者はいったいどれくらいいるのでしょうか? 日本物理学会の会員数は約18000人ですから、そこに2通とか3通というのは0.01%台という希少さであることが分かります。
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「公正な選考」のための多段階システム

 ノーベル賞のスタッフは統計など科学的な知識を持っているはずですから、無作為に抽出して「推薦者」を選んでも、まともな結果にならないことは知っているはずです。

 実際には欧米先進国を中心に、40~50カ国程度に、1年当たり1つの国に3、4通以上、分野を絞って「その道の大家複数」に推薦状のアンケートを送っているでしょう。

 もちろんアメリカは科学者が多いですから、アンケートを送る数も多いでしょう。しかし米国に偏り勝ちという批判が必ず来ますし、50年後に情報が開示された時困るようなことはしないはずです。いろいろな配慮をしているでしょう。

 公開されている情報は「300通ほどの推薦状」という数字だけですが、ちょっと考えれば、この「推薦人」を選ぶ時点から、かなり慎重に準備しないと、あとあと非難を受けない公正な選考は決してできないことが分かります。

 スウェーデン王立科学アカデミーなどは、あまりあからさまに語りませんが、合理的な推理と状況証拠から、私は明確に「ノーベル賞には企画段階がある」と記すようにしています。受賞業績を10年単位などで区切ってみると、物理なら素粒子、物性、理論、実験などのバランスが非常によく考えられています。これは「企画段階」で「今年はこの分野に」という方向性まで、間違いなく決定しているからと考えてよいでしょう。原爆の区切りの年などを見ても、企画とメッセージ性、ノーベル賞の個性があるのは明らかです。

 ある年のノーベル賞の方向性が大まかに決定したら、その分野で最も顕著な業績を上げた人が誰なのか、正確に評価できるように、バランスの取れた300通程度の「推薦状」を誰に送るかから、準備は始まるはずです。これはマーケティングなどの社会調査と全く同じでしょう。

 「誰に受賞させるか」まであらかじめ決めるということは少ないと思いますが、どの範囲から受賞者を出すかはきちんと準備、企画しなければ、正確に候補者を絞り込んでいくことはできません。賞は一度発表してしまうと、あとで取り替えが利きませんから、選考は厳密を極めると思います。業績調査は雑誌論文だけでなく、大学内の紀要レベルにまで及ぶそうで、詳細な調査に感激したと利根川教授をはじめ多くの受賞者も証言しています。また、こうした地道な下調べは「選考委員」が行っているわけではありません。ノーベル財団側の、たぶん博士号を持った専門の調査担当者が、世界各地に出張しているはずです。

多段階選考で両立する「政治」と「厳正さ」

 典型的なのは1994年に経済学賞を受賞したジョン・ナッシュ氏のケースでしょう。ナッシュ氏は経済学で標準的な「非協力ゲーム理論」を作り上げた数学者ですが、後年は精神を病んで、その奇行が世に知られていました。

 1993年、翌年の経済学賞を「ゲーム理論」に出す企画を立てた委員会は、世界の経済学者にアンケートを取ったはずです。そこで大半の推薦者がナッシュ氏の名前を挙げたでしょう。その年の1月に集計された結果が選考委員会で検討され、ゲーム理論に出すのなら、ジョン・ハーサニ氏、ラインハルト・ゼルテン氏らと並んでナッシュ氏を外すわけには行かなさそうだと目算が立ちます。そこでスウェーデンから、探偵かスパイのような担当者がプリンストン大学に密かに飛んで、ナッシュ氏の素行調査までしたらしいです。調査の結果、問題なしと判定されて、秋にノーベル賞が授与されました。

 このように、ある年にどのような分野から受賞者を出すかは、推薦アンケートの送り先から選考委員の選定まで、事前の段階でほぼ確定しているはずです。そしてその限られた範囲の中から、スタッフと選考委員は誠実かつ厳正な審査を行って、受賞者を決定するわけです。

 ノーベル財団の「意図」が明確に働くのは「選考委員選考」そして「推薦者選考」の段階と、最終的な人選の3つの段階で、その途中に関しては「神の公平な手」ならぬ、国際的な科学界の総意に多くを任せる、というスタンスを一貫して取っていることに注意するべきでしょう。

 世の中では「選考が政治的だ」「いや厳正だ」といった大掴みな議論もされるようですが、文学賞、平和賞なども含め、こうした多段階の審査プロセスを踏まえることで、ノーベル賞は「様々なバランスに配慮しつつ」「科学的に厳正な選考」を、大変な労力と予算を使って続けているのです。

ノーベル賞から外される大科学者たち

 この「最終選考で外される」典型的なタイプの科学者を挙げておきましょう。プリンストン高級研究所名誉教授のフリーマン・ダイソン博士 (1923~英→米)です。南部教授と同世代で、業績だけで考えれば幾つノーベル賞を貰ってもおかしくありません。「相対性理論」と「量子力学」を組み合わせる先駆的大業績「ダイソン方程式」の生みの親でもあり。素粒子、宇宙物理から統計基礎論、「整数論」などの基礎数学まで、およそ物理学全般に基本的業績を上げている「最後の巨匠」的な大物理学者です。

 ダイソン氏はまさに歴史的人物ですが、ある理由から、私は彼がノーベル賞を受賞する可能性は極めて低いと思います。それは、あまりに有名になりすぎた彼の「軍事科学への協力」が、ノーベル賞が大切にしている平和への姿勢など、賞の個性とブランドと、どうしても噛み合わないからです。

 原爆の父ロバート・オッペンハイマー氏は第2次世界大戦後、一転して平和主義者になりましたが、終生ノーベル賞を受けることはありませんでした。業績だけで考えれば間違いなく「よくあるノーベル賞受賞級」以上の科学者ですが、「原爆の父」であることがノーベル賞の個性とどうしても折り合いがつかなかったことが想像されます。

 水爆の父エドワード・テラー氏は、逆に終生タカ派で知られ、冷戦末期のレーガン政権でも軍事顧問を務めて、宇宙軍拡を主張し続けました。ちなみに楊振寧博士の卒業論文指導教官はテラー博士だそうです。業績も、教育者としての能力も超ノーベル賞級の科学者ですが、テラー博士にもノーベル賞は出ませんでした。
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フリーマン・ダイソン氏の場合

 先ほどのダイソン氏は、物理のみならず戦略科学でも「生みの親」に近い業績を上げています。第2次大戦時は核開発には関係しませんでしたが、英国軍内で現代戦略科学の原点「オペレーションズ・リサーチ」に貢献して、英国軍の作戦立案の中枢で働きました。また戦後米国に帰化すると、今度はペンタゴンやNASAのブレーンとして、冷戦期の軍事科学で活躍しています。

 ヒロシマ原爆の核弾頭を設計したハンス・べーテ博士は環境を決定的に汚染するとして核実験反対を指導しましたが、ダイソンは水爆の父テラー博士らとともに核実験推進の旗振り役になりました。このあたりでノーベル賞との相性は決定的に崩れたと思います。

 核軍拡推進論のリーダーと目されたダイソン氏は、米軍サイドから顧問に迎えられ、ベトナム戦争でも科学アドバイザーを務めます。もうこのあたりになると、いくら科学者として優れていても、ノーベル賞とは完全に無縁になってしまいます。

 ダイソン氏の著書によればベトナム戦争中、彼は軍事顧問として核使用に強く反対したそうです。しかしその代わりに使用された「枯葉剤」などの化学兵器が深刻な影響を与え、ダイソン氏や、素粒子の「クォークモデル」で知られるマレー・ゲルマン氏など、米軍の科学顧問団は、科学者集団から学生まで、国際的に猛烈な批難を浴びました。

 ダイソン氏は後に大きく考えを変え、途上国からの核流出によるテロリズムの脅威に警鐘を鳴らすなど、ダイソン氏なりの真摯な行動を取ったことが著書からは知れます。しかしアドルフ・ヒトラーとナチス・ドイツのロンドン空襲を経験したダイソン氏は、決して非暴力主義を取りません。彼は専守防衛の軍事科学者という信念を貫いています。ちなみにナチス・ドイツの犯罪に協力した科学者も、いっさいノーベル賞からは退けられています。

人類持続発展の旗手としての科学者

 ダイソン氏は80歳を過ぎた2005年にも「宇宙開発の継続」を訴える声明を出し、科学界は「ああ、ダイソンはあのままで、まだ健在」という印象を受けました。

 ダイソン氏は間違いなく何度も、いや何十回かもしれませんが、最終選考までノーベル賞の候補に挙がっているはずです。彼の生徒にもノーベル賞受賞者は少なくありません。でもこの半世紀、ついぞ受賞することはありませんでした。財団は毎年、授賞理由のシナリオを工夫しますが、今さらダイソン氏にどんな理由をつけても、賞を出すことはできなさそうに思います。

 ダイソン氏のケースは、ハト派に転向したオッペンハイマー氏とも、タカ派を貫いたテラー氏ともやや異なっています。というのも彼の姿勢は、各国政府が現実に採用している戦略とあまりに一致し過ぎているのです。その意味で彼は物分かりのよい科学顧問で、軍に出かけていって現実的な軍縮や核自粛を説き、武装平和路線なども指導します。

 こんなダイソン氏は、人類が目指す理想を指し示すべきノーベル賞の方針と合致しないのです。彼の軍事施策はあまりに現実的過ぎて、平和の理想として旗印の役割を果たさないのです。一方でダイソン氏は惑星間規模でのエネルギー問題解決など、壮大な科学構想を発表したりもするのですが、これはこれで現実と開き過ぎて、やはり理想になりません。

 これ以外にも、例えば車椅子の宇宙物理学者として有名なスティーヴン・ホーキング氏などもノーベル賞とは無縁だと思います。彼は理論家ですが、彼の業績は実験的な検証が困難なために、やはりノーベル賞の方針と合わないのです。

 ダイソン氏からオッペンハイマー、テラー、ホーキングまで、理由は様々ですが、ノーベル賞が必ずしも「純粋な科学的業績」だけで選ばれているわけでないのは厳然たる事実です。これは大切なノーベル賞の個性でもあります。「平和」から「実験的検証」まで、大黒柱の理念を失えば、ノーベル賞のオリジナリティーは無くなってしまいます。

 私が前回のように「文民統制」の問題などを「憲法一般」(特定の憲法によらない国権のレギュレーション)から強調するのは、こうした「ノーベル賞の個性」サイドの本音を聞いていて、「基礎科学」から「国際経済」を名実ともにリードし、「平和憲法」を擁する「非西欧」唯一の第1等先進国である日本に、各国から具体的なリクエストを求められてきたからでもあります。

ノーベル賞ブランドが日本に寄せる期待

 「平和」「人類の共存」から「実証性」まで、20世紀の100年をかけて「ノーベル賞」が作ってきた「ブランド」は、ちょうど100年目の 2000年から、日本を「ほぼ毎年ノーベル賞を出す国」に仲間入りさせてくれました。もちろんそこには狙いがあり、さらに希望、期待が込められています

 その、日本に寄せられている「期待」とは何でしょうか。結論を先に書くならば、それは様々な「非対称性」を克服する、結節点としての役割に他なりません。21世紀に入ってからの10年は、私が大学に勤務するようになってからの時間とちょうど重なりますが、その間、大学の代表として国際的な研究大学連合会議などに派遣されるたび、各国から常に求められてきた「日本へのリクエスト」について、次回以降、具体的にご説明したいと思います。

(つづく)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081125/178209/?P=5

資料 アイドル

2008.09.26
ブックマーク
AKB48、℃-ute、etc

アイドルに恋人は絶対NG?
石野真子さんに聞いてみた!



「今でもライブには、アイドル時代からのファンが来てくれますよ。ファン同士の交流の場になってるみたい」と石野さん。過去のヒットアルバムも紙ジャケットで次々復刻中。今年のコンサートは11月と12月に開催
先月、人気アイドルユニット・AKB48のメンバーが解雇されるというニュースがありました。さらに、モーニング娘。の妹分・℃-uteでも、メンバーのひとりが握手会でファンに無視されるという騒動が勃発。

どちらもことの発端は“恋人”の存在でした。彼氏とおぼしき男性との写真がネット上に流出し、ブログや掲示板が炎上。これらを契機に、ネット上で「アイドルに恋人はNGか?」という議論が活発に。

「大金を払って応援してるんだから、裏切りに怒るのは当然の権利」という声がある一方で、「アイドルだって生身の人間。プライベートで彼氏がいても普通」なんて声も。これについて、アイドルウォッチャーの北川昌弘氏に話をうかがうと…。

「70 年代や80年代のアイドルは基本的に清純派が多く、ファンにとって“擬似恋愛の対象”として成立していたので、原則恋人はNGでした。トップアイドルの山 口百恵でさえ、三浦友和との交際発覚によって引退しましたから。これに対し現代は、アイドルも生身の人間であるとファンもわかっており、裏切られたくなければ2次元アイドルもいる。なので、未成年か、よほどピュアなタイプで売ってない限り、交際発覚は容認される方向です」

確かに、堂々と交 際宣言することで逆にイメージをアップさせるアイドルもいますからね。では、当のアイドル側はどう考えているのでしょう? 今年でデビュー30周年を迎え、8月に2年半ぶりとなるオリジナルアルバム『Love Merry-go-round』をリリースした、歌手で女優の石野真子さんに話を聞いてみました!

「恋人発覚で『裏切られた』と感じるファンの気持ちはわかります。アイドルに対して『ずっと変わってほしくない』という想いを抱いているんだと思う。私もアイドル時代、作詞をした際に悩みや内面を吐露するようなことを書いたら、ファンがショックを受けてしまったことがありました」(石野さん)

なんでも、「いつもニコニコ元気な真子ちゃんでいてほしかったのに…」「大人にならないで!」なんて声が殺到したのだとか。もっとも、アイドルを想う男性心理として共感できる部分は多々ありますが…。

「まあ、ファンもファンで、ほかに好きなアイドルができたら乗り換えちゃうでしょ? これ、アイドル的には結構さみしいものなのよ…。変わってしまうのも、そういう意味ではお互い様かもね(笑)」(同)

そういわれるとぐうの音も出ません。いやはや、前のめりになりがちなファン心理をたしなめる大人の意見です…。みなさんはこの問題、どう考えますか?

(清田隆之/BLOCKBUSTER)
http://r25.jp/web/link_review/20006000/1122008092607.html?vos=nr25gn0000001


AA その他

58 名前:名無しさん@そうだドライブへ行こう[sage] 投稿日:2008/07/15(火) 12:05:36 ID:8mQHnh9X0
エキサイト翻訳 http://www.excite.co.jp/world/chinese/

┌──────────────┐
│韓国の威信              .│ .____
│                      │|中→日|
│                      │ . ̄ ̄ ̄ ̄
│                      │  [翻 訳] ←訳してみよう!
│                      │
│                      │
└──────────────┘
     └──原文──┘

           \ 今日はとんかつ  /    ,.、 ,.、
   / /     / \   にするか /    ∠二二、ヽ
/     /   /    \ ∧∧∧∧/     ((´・ω・`) lヽ,,lヽ
              <    と  >     / ~~:~~~ (    )
    /    /     < 予 ん  >   ノ   : _,,.と.、   i
               <    か >    (,,..,)二i_,   しーJ
 ─────────< 感 つ  >──────────
               <    の  >     ,.、 ,.、
    γ⌒ヘ⌒ヽフ    < !!!!    >    ∠二二、ヽ
   (  ( ・ω・)   /∨∨∨∨\    ((´・∀・`))<とんかつ5人前
    しー し─J  /死ぬ気なの! \  / ~~:~~~ \


_________|_
 |  _____ ∧_∧|_
   ̄| _____ (∀`   )_|_ 大人の階段のーぼるぅ~♪
    ̄|  __ と     つ__|_  君はまだシンデレラさ♪
      ̄|  __<  <ヽ |______|_  幸せは誰かがきっと運んでくれると信じてるね♪
       ̄|  _(_)_γヽ______|_  少女だったと、いつの日か
         ̄|  ___(__ノ______|_  思う時がくるのさぁ~♪
          ̄| ___________|_


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    立ち位置は外交安保教育刑事分野で右、社会経済分野で左。
    一応貴族で爵位は猴爵およびシーランド公国男爵。
    膳所の某所山奥に在住の好色酒好き秘湯ヲタの絶倫狒々(冷凍力)が戯言を宣います。キーワードは是々非々(部分否定・部分肯定/全否定・全肯定)。
    別荘は西九州。
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